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キリスト教初心者のための「新約聖書」超入門(1/4)

多くの日本人は、自分自身のことを「無宗教」であると認識していると言われます。私もそうした典型的な日本人の一人です。初詣と称して神社に行き、観光旅行のためにお寺を訪れ、クリスマスを楽しみます。こうした私たちの多くにとって、キリスト教という存在は決して馴染み深いものではないと言えるでしょう。

私自身、自分たちの結婚式で牧師さんが語ってくださったお話には感銘を受けたものの、それ以降、キリスト教と接する機会はありませんでした。しかし、2012年に当時勤務していた会社の近くに青山学院大学があり、労働法を学ぶために半年間だけ足しげく通っていた時期があります。その時に、西谷幸介教授(当時)によるキリスト教学を興味深く受講しておりました。

その頃のことを思い出し、また最近では論語をはじめとした東洋思想にかぶれすぎている自身を思想的に中和するために(?)、西谷先生のご著書をLearning Barで扱おうと思いました。2019年8月2日に梅田でお話ししたポイントを複数回に渡って展開します。

まず最初に、キリスト教を含む世界三大宗教と呼ばれる三つの宗教について、その共通点を見ていきました。イスラム原理主義者によるキリスト教圏へのテロ行為を耳にしたり、ハンチントンのもはや古典とも呼ばれる名著『文明の衝突』を読んだりすると、それぞれの宗教の違いに意識が向かいがちです。

しかし、最初の図で示している通り、三つの宗教は、旧約聖書を聖典の一つとしていたり大きな影響を受けるなど、思想的な背景として共有していると言えます。キリスト教では、旧約聖書は新約聖書とを聖典として認めています。

言い方を変えれば、神道や仏教といった多神教の宗教にシンパシーを感じやすい日本人にとって、キリスト教を理解することが難しいのは当たり前なのかもしれませんね。そこで西谷先生の『十字架の七つの言葉』を紐解きながら、ポイントをみなさんと学んでいきました。

ここでの七つの言葉とは、イエスが磔刑に処されて亡くなるまでの直前に発言した七つの言葉を指し、具体的には以下の通りです。

では一つ目を見ていきましょう。

この言葉はルカ福音書23章34節の一節です。ポイントは①〜③の三つでしょうか。

まず「①祈りの人イエス」です。イエスは無実の罪で磔刑にされるわけであり、どんなに祈っていても正しいことを証明できないことはあります。しかし、だからと言って祈ることを止めるのではなく、何かを諦めるのではなく、最後まで祈り続けることが重要だと読み解けるようです。

次に「②神への信頼」です。神に対して「父よ」というように親しみを込めた呼びかけをすることは、ユダヤ教ではなかったアプローチだと言われています。絶対神である神への畏敬の念に、親しさという要素が加わったのが新約聖書のポイントです。キリスト教を信じるすべての人々が、神と人格的な交わりを行うことができ、個人の尊厳とかけがえのなさが認められると読み取れます。

最後は「③他者の幸せのための執り成し」です。イエスは、彼自身を磔刑に処した人々や見捨てて逃げてしまった弟子たち(自分への積極的な裏切りをしたユダも含む)を含めた全員をゆるしています。さらには、過去から将来にわたるすべての人間に共通するエゴイズムの罪を救うために、自身の無実の罪への裁きを受けることによってゆるしを請うているのです。


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