「ブラック・ウィドウ」とディズニー映画上映拒否問題
海外に比べれば、日本ではマーベル映画はそれほど盛り上がっていないとよく言われている。
それでも、コロナ前の2019年に公開されたマーベル・シネマティック・ユニバースにカウントされる作品3本の興収は、「アベンジャーズ/エンドゲーム」の約60億円を筆頭に、「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」の約30億円、「キャプテン・マーベル」の約20億円といずれも大ヒットと言える数字をあげている。
「キャプテン・マーベル」なんて、日本では知名度のキャラクターを主人公にした作品で、尚且つ、日本ではヒットしにくいフェミやリベラル思想を全開にした作品なのに、大ヒットと呼べる数字を記録できたのだから、マーベル映画は世界レベルと比べれば地味かもしれないが、国内レベルでは十分に人気コンテンツと呼べるものだと思う。
そんなマーベル映画のコロナ禍になってからは初の新作となる2年ぶりの劇場用作品「ブラック・ウィドウ」が公開された。
コロナの影響で何度も公開予定が変更されていたので、やっと公開が実現したといったところだろうか。
当然、本国の米国では、コロナ禍になって最大となるオープニング興収を記録した。ところが日本では観客動員ランキング初登場3位と物足りない結果になっている。しかも、洋画では日本公開2週目の「ゴジラvsコング」よりも下位となっている。
その最大の要因は、日本での上映館数が少ないことにある。
ディズニーが劇場公開と同時にディズニープラスでも配信するという方針に、日本の全興連が反発し、東宝・東映・松竹の邦画大手3社系のシネコンが軒並み、ディズニープラスで同時配信されるディズニー映画の上映をボイコットしているからだ。マーベル映画はディズニー配給作品だから、当然、本作でもその措置が取られている。
その結果、都内主要地区では、銀座では上映館なし。新宿や渋谷ではミニシアターでのみの公開。かろうじて、独立系のシネコンやそれに準じた劇場がある池袋のみ2館態勢という状況だ。
TOHOシネマズしか一般上映館がない六本木や日本橋、上野、錦糸町などの地区では見ることすらできない。
そりゃ、初登場順位が物足りない結果に終わってしまうわけだよね。
それでも、何とかトップ3に入ったということは、マーベル映画を配信ではなく劇場で見たい。あるいは、配信でも見るが一度は劇場で見たいという人が一定数いるということだと思う。
邦画大手3社の「同時配信は映画館文化を破壊している」という主張は一見・一聴するとド正論のようにも思えるが、結局、映画館で話題作を見たいという映画ファンの心情を蔑ろにしているだけなんだよ!
そもそも、「閃光のハサウェイ」や「かくしごと」などアニメのイベント上映作品では、劇場公開と同時にブルーレイを売っているし、TOHOシネマズでも上映されている特集上映「午前十時の映画祭」はとっくの昔に、DVDやブルーレイ化され、配信もされている作品なんだから、こういう作品を上映しておきながら、ディズニー映画を拒否するというのはダブルスタンダードの極みでしかない。矛盾もいいところだ!
「ラーヤと龍の王国」や「クルエラ」では邦画大手3社に同調して上映拒否していた東急が今回は上映することになったのは、映画ファンからのそういう批判の声を察知して、観客目線に立とうという思いを持ちはじめたということだと思う。
というか、東急としては邦画大手3社と横並びでやっても、3社ほどの利益は元々あげられないのだから、少しでも儲かるコンテンツがあるなら、それを上映するという至極真っ当なビジネス的理由で上映しているのだと思う。
米国では、劇場公開と配信が同時の作品でも、本作や、米国ではワーナー配給の「ゴジラvsコング」のように大ヒットしている作品もあるということは、ディズニープラスなど特定の映画会社に特化した配信サービスには加入していない人も多いし、劇場で上映されれば見たいと思う人が多いということだと思うんだよね。
そして、日本でも「ブラック・ウィドウ」を上映している数少ない映画館にそれなりに人が集まっているというのはそういう人が多い証拠だと思う。
つまり、邦画大手3社のやっていることは、3社の協力なライバルであるディズニーを日本の映画興行市場から追い出して、自分たちのシェアを高めるためにやっている単なる排外主義でしかないということ。
これが、米政府から突き上げられたら、日本の映画業界はとんでもない目にあうことになると思うよ。今のところ、コロナの感染状況が深刻だから静観しているけれど、落ち着いたら外圧攻撃される案件だね、コレは!
そんなわけで、超久々のマーベル映画となった本作をやっと見ることができたが、微妙と言わざるを得ないというのが正直なところかな。
マーベルでもDCでもそうだが、アメコミヒーローものってのはジャンル分けするとSFやファンタジーに分類されると思うんだよね。
アイアンマンは体の一部が機械だし、キャプテン・アメリカは冷凍保存から目覚めた兵士だし、マイティ・ソーなんかは神様だし、スーパーマンは宇宙人だ。
後天性か先天性かという違いはあるものの、スパイダーマンやハルク、デアデビル、X-MENなど突然変異による特殊能力を持ったヒーローも多い。
また、バットマンは中身は生身の人間であっても、ハイテク機能のスーツやメカによって、強靭な身体能力をさらに増大させている。
でも、ブラック・ウィドウって、身体能力は高いけれど、基本はただのスパイなんだよね。
だから、今回の映画を見ていても、アメコミヒーローものを見ているというよりかは、スパイアクションものを見ているという感じにしかならないんだよね。
ケミカルなマインドコントロールにより強靭な肉体を手に入れた兵士が出てきたり、特殊なマスクで人物が入れ替わったりという描写が出てくるので、多少はSF要素があるかもしれないが、その程度のSF要素なら、007シリーズやミッション:インポッシブルシリーズでも出てくるしね。
なので、アメコミ映画として見ると非常に退屈に感じる部分があるのは否定できないと思う。
ただ、家族のフリをしているスパイ一家のやりとりは面白かったとは思う。
でも、2年ぶりの公開となったマーベル・シネマティック・ユニバース作品で、しかも、本作から新たなフェーズに突入するとされているのに、描かれている話が、これまでに公開された作品の途中に挟まる時代設定の話というのは理解できない。「エンドゲーム」の前後に公開し、前のフェーズに含めた方が良かったのではないか?
そういえば、エンド・クレジットが流れると同時に退席した観客がいたが、彼は何しにアメコミ映画を見に来たんだろうかと思った。
アメコミ映画なんて、エンド・クレジット後、もしくはエンド・クレジット中に“本編”以外の“追加シーン”がある場合の方が多いのにね。
個人的には、絶賛だろうと酷評だろうと映画を批評する資格があるのはエンド・クレジットを含めた作品全てを見た人間だけだと思う。
だから、エンド・クレジットを見ない人間には映画を語る資格はないと思っている。
まぁ、家族や友達、恋人、同僚と“面白かった”とか“つまらなかった”って言うだけならそれでもいいが、少なくとも、SNSで感想を述べたり、ブログで論評したりする人間はきちんと最後まで見ろよって感じかな。
とりあえず、予定通りであれば、年内にあと3本もマーベル映画が公開されるというのは楽しみで仕方ない。何しろ、去年はコロナの影響で1本も公開されなかったしね。
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