劇場編集版かくしごと ―ひめごとはなんですか―
大滝詠一“君は天然色”がテレビアニメシリーズ版同様、今回の劇場版(まぁ、テレビ版の総集編映画だが)でも、EDテーマになっていたが、本当、この曲って、何度も何度もタイアップがついているよね。
車とビールという共存してはいけない商品双方のCMにも使われていたし、去年は本作のテレビ版のほか、実写映画「私をくいとめて」にも使われていた。
結局、現在の映画・アニメ・CMなど映像作品の現場で権限を持つプロデューサーや演出家に、大滝詠一サウンドで育ったバブル世代が多いってことなんだろうね。
ところで、本作はテレビ版の総集編映画なのに、特別料金作品となっていて、本来なら学生料金やシニア料金、小人料金で鑑賞できる人まで1900円を払わなくてはいけないってのはおかしいだろ!
「閃光のハサウェイ」みたいに新作なら百歩譲っても仕方ないが、総集編映画なら通常の一般料金より安くするならともかく、学生料金やシニア料金、小人料金の観客まで一般料金にするのはぼったくりでしかない。
また、「閃光のハサウェイ」同様、劇場でブルーレイを販売しているのも理解できない。
それでよく、東宝・東映・松竹の邦画大手3社は劇場公開と同時に配信をしているディズニーは映画館を軽視しているから、ディズニーの同時配信作品の劇場上映はボイコットするなんて言えるよね。
百二十歩譲って、「閃光のハサウェイ」はディズニーに文句を言っている邦画大手3社の一角である松竹の作品だから、自分たちのやることには甘いんだろうねって感じで呆れるだけで済むが、本作はエイベックス配給作品なんだから、拒否できる立場にあるよね。
もしかすると、ディズニー映画の上映を拒否したのって、同時配信するなら、学生料金もシニア料金も小人料金も設けず、均一で一般料金にしろ(もしくはそれ以上の高額にしろ)というような提案を邦画大手3社を中心とした全興連側がしていて、それをディズニーが蹴ったので排除したとか、そういう理由なんじゃないだろうか?そんな気がして仕方ない…。
そもそも、今回のディズニー映画上映ボイコットって、日本の映画市場からディズニーを追い出すためにやっているとしか思えないんだよね。
ぶっちゃけ、完全に外国的存在の洋画配給会社ってディズニーだけだしね。
ミニシアター系洋画や小規模公開作品を中心に配給している会社のほとんどは国内の弱小企業だから、邦画大手3社にとっては、脅威でもなんでもない。
角川やギャガは邦画も配給するし、角川は日本映画界では大手3社に次ぐポジションだから排除できない。
ハリウッドのメジャー系でも、ワーナーは多くのローカル作品=邦画を公開しているから、実質、日本映画の配給会社みたいなものだ。
ソニー・ピクチャーズはソニーという名前から分かるように、日本企業の関連映画会社だ。
ユニバーサル映画やパラマウント映画は、東宝のグループ会社、東宝東和が日本国内での配給を担当している(パラマウント作品は東和ピクチャーズというレーベルが配給)。
つまり、完全な外資ってディズニーだけなんだよね。
だから、日本の映画業界はディズニー排除に躍起なのでは?ディズニーがいなくなれば、邦画大手3社のシェアはさらに増えるしね。
ディズニー以外では、Netflixなど配信作品もいかにもな外国的存在かな。だから、時々、劇場上映もするネトフリ映画も邦画大手3社のシネコンでは上映を拒否しているんだろうね。
日本製アニメ「日本沈没2020」は劇場版は配信版とは異なる総集編映画だし、そのバージョンの配給はエイベックスが担当したから、TOHOシネマズで上映したんだと思う。
一方、元々は東宝の映像事業部の配給で劇場公開予定だった「泣きたい私は猫をかぶる」はコロナの影響でネトフリ配信作品に変更されたが、その後、一部ミニシアターなどでは劇場上映されたものの、本来の配給担当だった東宝のシネコン、TOHOシネマズでは特別無料上映会はやったものの、入場料金を取る一般上映は行わなかったってのもそういう配信作品上映拒否の流れから来ているんだろうとは思う。
同じく、元々、松竹とアニプレックスの共同配給で劇場公開予定だった実写日本映画「劇場」がアマプラ配信作品になった際に、松竹など大手邦画系のシネコンが劇場での上映を拒否したのも同じパターンだよね。
一方で、Apple TV+で先行配信されていたビリー・アイリッシュのドキュメンタリー「世界は少しぼやけている」が普通に東映や松竹のシネコンでも上映されているのは、配給がアップルではなくユニバーサル映画の関連企業であるユニバーサルミュージックの映像レーベルだからというのもあるのかな。
全然、ポリシーがないんだよね。やつていることが映画ファンのためではないんだよ!
東宝・東映・松竹の邦画大手3社を中心とした国内企業の利権を死守するためだけにやっているんだよ!
本当、全興連って、JASRACとか音事業などと並ぶ日本のエンタメ界を海外に通じないものにしている旧態依然とした団体だと思う。
それにしても、このアニメの原作コミックの作者である久米田康治って節操のない人だよね。
連載デビュー作「行け!!南国アイスホッケー部」は一応スポーツ漫画だが、世間一般的には下ネタを中心としたギャグ漫画として認識されていた。
そして、彼の作風は徐々に変化していき、いわゆる久米田節が確立されたのが1998年から2004年にかけてサンデー(小学館)で連載されていた「かってに改蔵」だ。
様々なコミックやアニメ、ゲーム、映画などの小ネタを大量に盛りこんだサブカル漫画として「改蔵」が人気を集めた際には、“下ネタ漫画家だったのに…”と思ったほどである。
そして、久米田は同じく下ネタギャグ漫画作家だった小林よしのりが「ゴーマニズム宣言」でネトウヨ思想の礎のようなものを築いたように、右傾化、正式にはネトウヨ化していってしまった。
「改蔵」でも小ネタに、時事ネタが取り入れられることは多かったが、その時はまだ権力批判のスタンスであることが多かった。
しかし、「改蔵」の次作でマガジン(講談社)に移籍しての第1弾である「さよなら絶望先生」以降の作品で時事ネタが取り上げられる際はネトウヨ思想全開となり、中国や韓国、北朝鮮、国内では自民党以外の政党や野党支持者を揶揄するような描写が目立つようになった。
久米田のネトウヨ化の要因として推測される要素は二つある。
一つは、「改蔵」が打ち切りという形で連載終了となったことだ。
「改蔵」の単行本最終巻は本当、素晴らしい出来だった。
連載開始当初、あるいは連載中にどこまでこのオチを想定していたのかは分からないが、少なくとも、この最終巻は、これまでの作中で謎とされていたことの全てにこれまで伏線がはられていたかのように、きちんと理由付けがされていた。
しかも、公式に連載終了が明らかになる前から、その伏線回収作業が行われていたことが、この最終巻を読むとよく分かる。
実際は打ち切りの話から後付けで、最終回に向けて辻褄合わせをしただけで、本当にはっていた伏線なんて少ししかなかったのかもしれないが、それでも話のまとめ方は見事だった。
手塚治虫が夢オチを批判をしたとされる逸話はどこまで本当かは知らないが、神様・手塚治虫の言うことは絶対だみたいな考えを持つ者が多いことから、コミックやアニメ業界、そして、コミックやアニメのファンには、夢オチやそれに類した結末(妄想とか空想、登場人物の書いた小説の話だったというオチや、実は死んでいたみたいなものもこれに入るのかな)を極端に嫌う者が多いが、あえて、そうした結末にしたことには、打ち切られたことに対する漫画業界や漫画ファンへの怒りも込められていたのではないだろうか。
そして、もう一つの理由が小泉政権だ。「改蔵」連載期間の後半半分は小泉政権時代だ。
この期間にネトウヨ思想を持つ者が増えたが、その最大の要因としては、小泉訪朝があげられると思う。それまでほとんどの日本人が意識していなかった北朝鮮による拉致の問題が小泉訪朝により誰もが知る事実となり、北朝鮮に対する憎悪感が増したのではないだろうか。
また、この北朝鮮と同じ民族の国家である韓国がロビー活動によって、2002年のサッカーW杯を日本単独開催ではなく、日韓共催にしてしまった。
しかも、日本より韓国の方が好成績をあげたことにより、ねたみも含めて嫌韓思想が助長されていった部分はあると思う。
それから、90年代には総理大臣の靖国参拝は橋本の1回しかなかったが、小泉は何度も参拝した。それも影響しているのではないだろうか。
北朝鮮や韓国、中国が嫌がる靖国参拝を積極的に実施したことから、北朝鮮や韓国、中国に対する嫌悪感を増していた国民はさらに小泉を熱狂的に支持するようになったのは周知のことだ。
そして、小泉がこうしたネトウヨ思想を助長させたのは、郵政民営化や派遣労働法の改正などによって、失業したり、収入が減ったりする者が大量に出ることは確実なので、そうした人たちの不満のはけ口として、北朝鮮や韓国などの批判という娯楽を与えたというのが背景にあるのではないだろうか?
自己責任という言葉がしきりに言われるようになったのは小泉政権の頃だと思うが、郵政民営化や派遣労働法の改正などは旧態依然としたシステムをぶち壊す構造改革であり、これを受け入れられない者は今で言うところの老害であり、この恩恵を受けられないのは自分が構造改革に否定的なためであり、それは自己責任だという考えを洗脳するようになった。
実際は構造改革でリストラされたり、派遣社員になって収入が大幅に減ったのに、成功できないのは自己責任という考えが蔓延してしまったから、文句を言うことができない。だから、政権のシナリオ通りに韓国や北朝鮮、中国の悪口を言うことでしかストレスを解消できない人が増えることになった。
漫画の打ち切りというのも一種のリストラみたいなものだから、久米田がそうした社会背景のもと、ネトウヨ化したとしてもおかしくはないと思う。
そして、移籍先のマガジンはヤンキー漫画やスポーツ漫画が多いことから、サンデーより保守思想が強いのは明白であり、「絶望先生」以降展開される久米田のネトウヨ路線もあっさりと読者に受け入れられるようになったのではないかと思う。
「ラブひな」などの赤松健が自民党に媚びた活動をしているのもその流れだとは思う。
ただ、ネトウヨ化した著名人が脱ネトウヨ化する動きもここ最近目立っている。ネトウヨ思想の礎を築いた小林よしのりは、いつの間にかパヨク的思想の人が好むような政治家を応援するようになっているし、久米田が2015年末から約4年半にわたって連載した本作の原作だってそうだ。
まぁ、久米田作品は絵柄もそうだし、アニメ化作品の担当声優もそうだが、腐女子好みだから、あまり、ウヨ路線を突き進めてしまうと、いくらどんな内容でも推しが出ていればマンセーするような人が多い腐女子からも避けられてしまうってのが本当の理由ではないかと思う。
何気に久米田作品は、「コナン」や「鬼滅」同様に腐女子人気が高いから、彼女たちに媚びるにはウヨ臭を消さないとならないしね。
腐女子に媚びた作品はつまらなくなると言われているが、久米田作品に関しては良い結果になっているってことなのかな?
今回の劇場版の作品自体に関しては、テレビ版を見ていない作品の総集編映画なので、ストーリー展開が唐突だと感じる箇所は多かった。でも、感動できた。
ちなみに最大の鑑賞理由は内田真礼が出ている劇場アニメは見ておきたいというものだったりする。内田真礼はアイドル声優扱いされている上に、恋愛スキャンダルのせいでクリーンなイメージを持たれてなかったりもするので、あまり演技面で語られることはないような気もするが、何気に演技は上手いと思うんだよね。というか、役柄が結構幅広いと思う。
そして、この「かくしごと」という作品はメタ要素も含めた久米田の集大成といった内容だと思った。そもそも、「改蔵」以降の久米田作品の人気の要素の一つには同業者やアシスタントなどをいじる内輪ネタもあったわけだから、メタ要素というのは久米田的すぎるくらい久米田的だしね。
それから、自分が下ネタ漫画家だと知られるのを嫌がる本作の漫画家・後藤なんて久米田そのものだし、後藤が漫画家を辞めたのは、久米田がサンデーを離れたことを思い浮かべるしね。
まぁ、娘に自分が下ネタ漫画家だと知られたくないのに、本名で活動しているのは理解できないが。
正直言って、作中に登場するパワハラやゲイの描写はかつてはOKだったものかもしれないが、現在の感覚からすれば意識が薄すぎるとしか言えないと思う。
でも、そういう問題点も含めて、下ネタからコメディ、メタ、サブカル、ミステリー、恋愛、そういった様々な久米田が関わってきたジャンルを網羅し、さらには、家族愛という今までの作品には不足していた要素までも描いて大人になった久米田を提示。そして、一番のマイナス要因だったネトウヨ要素をほとんどなくしたのだから、とりあえず、ザ・ベスト・オブ・久米田といった感じの作品だと思う。
ところで、ほとんどの固有名詞(商品名など)が、紛いものっぽい名前に変えられているのに、ヤクルト、ジョアとワールドビジネスサテライトは実名で出てくるのは何故?
特にWBSは謎だ…。製作委員会に名を連ねているのは、BS日テレやTOKYO MXだから、日経・テレ東グループは関係ないのに…。
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