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すずめの戸締まり「最後の戸締まり上映」

バージョン違いの作品はオリジナル版と同一作品か否かという議論はたびたび起きる。

キネマ旬報のベスト・テンではディレクターズ・カット版など初公開バージョンと異なる編集で公開された作品は対象作品には含まれない。
日本アカデミー賞ではディレクターズ・カットのみならず、単発テレビドラマや配信映画に手を加えた劇場版、テレビシリーズや配信シリーズの総集編映画もオリジナルの映画とはみなしていない(何故かキネ旬では対象になるが)。

しかし、そうした日本アカデミーが映画と認めないテレビアニメの総集編映画には、作画を修正したり、音声を差し替えたりしているものも多い。テレビシリーズになかったシーンが入っている作品も結構ある。
「魔法少女まどか⭐︎マギカ」の総集編映画2部作なんかは全カットの作画を修正したそうだが、それって総集編ではなくリメイクではという気もするしね。

また、劇場公開されたアニメ映画にはDVDやBlu-rayとしてリリースされる際に修正されているものも多い。これはテレビアニメのソフト化の際にもあることだし、同じテレビシリーズでも放送版と配信版で異なる箇所がある場合もある。
これは、劇場公開やテレビ放送、配信開始に向けた納期ギリギリで完成させたために、制作サイドとしては不完全と思われる点があるから、2次利用、3次利用の際には修正しておこうという考えなのだろう。

「新世紀エヴァンゲリオン」はテレビシリーズの時からソフト化される時には修正を加えていたし、いわゆる旧劇と呼ばれる最初の劇場版も本来は1本の作品として公開するはずが、納期に間に合わず2度にわけて公開することになったことから、後にこの2作品をまとめた「REVIVAL OF EVANGELION」という作品が公開され、今では旧劇はこの一本化バージョンが基本となっている。
再構築された新劇場版、いわゆる新劇は全作品がソフト化の際に手直しされているし、シリーズ完結編の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」に至っては、劇場公開中に修正バージョンが公開されたくらいだ。

ぶっちゃけ、不完全なものを最初に見せておいて、その後に金を取って修正版を見せるという行為に対してはふざけんなという感想しか持てないが…。

とはいえ、世の中にはこうした別バージョン作品でもオリジナルとは全く異なると言わざるを得ない作品も多い。

1954年版「ゴジラ」を再編集した米国公開版「怪獣王ゴジラ」はストーリーが改変されているし、「子猫物語」の海外版はオリジナルを素材扱いして再編集したものと言ってもいいくらい異なる作品となっている。
ウディ・アレンが「国際秘密警察」シリーズ 2作品を再編集した「What's Up, Tiger Lily?」なんて元素材が同じというだけの全く異なる内容のギャグ映画にされてしまっている。

オリジナルは3時間58分もあるフランス映画「美しき諍い女」の別バージョンである「美しき諍い女/ディヴェルティメント」は上映時間が半分程度になっただけでなく、オリジナル版とは別撮りのカットを使用していることもあり、単なる再編集バージョンとは言えないものになっている。

また、「ロッキー4/炎の友情」のディレクターズ・カット版である「ロッキーVSドラゴ:ROCKY IV」は上映時間がほぼ同じであるにもかかわらず、およそ半分の尺がオリジナルとは異なる映像に差し替えられている。

良し悪しはさておき、こうした作品を果たして同一作品と呼んでいいのかと思ってしまうのは当然のことではないだろうか。

本作「最後の戸締まり上映」は実に273ものカットが修正されているらしい。長いカットも短いカットもあるので厳密には違うと思うが、本作の上映時間は2時間1分だから単純計算すれば1分あたり2.25箇所が変更されているということだ。これはもうリメイクと言っていいレベルだと思う。

まぁ、実際に見てみると、「シン・エヴァンゲリオン」の修正版の時もそうだったけれど、どこが変わったのかよく分からなかったが…。

とりあえず、ネットニュースに記事があげられていた新幹線車内の乗客がマスクをしているというのはすぐに分かったけれど。
でも、マスクをしている人の描写があるのは新幹線車内と都内のシーンだけ。宮崎や愛媛、神戸、宮城のシーンでは誰もマスクをしていない。しかも、新幹線や都内のシーンでもマスクをしている人は一部だけ。はっきり言って中途半端でしかない。コロナ禍の描写をするならどの土地でもほとんどの人がマスクをしているのが自然だし、現在の脱コロナに向けた状態の時期を描いているのであれば、マスクをしている人としていない人が混在しているという描写は新幹線と都内だけでなく、それ以外の地域の場面でもあるべきだ。

単にネット民に話題にしてもらいたいから手を加えただけにしか見えない。

そんなところを修正するなら、他にやることはいっぱいあるだろうと思う。

地震を伝えるニュース番組でアナウンサーが、発生時刻を24時間制で言ったり、“人的被害”なんて言葉を使ったりしていたが、ニュース番組ではそんな言い回しはしないよ!

それから、高校生を前に大学生がタバコをプカプカふかすシーンとか、高校生にスナックで働かせるシーンとか修正しろよって思う。

あと、イマジナリーラインがおかしい箇所もかなりあったしね。まぁ、イマジナリーラインを気にするのはアナログ世代だけ、現在の映像文法にはそんなのはないという風潮だから、これは仕方ないのかも知れないが…。

そうそう!
“ルージュの伝言”たった1曲を聞いている間に進む距離が長すぎるだろ!

そう言えば、ネット民が勝手に名付けただけなのに、白猫キャラが自分から“ダイジン”と名乗るのもおかしいし、このダイジンと対立する存在だったはずの黒猫キャラが最初から、“サダイジン”と“ダイジン”とセットの名前になっているのもおかしい。
しかも、いつの間にかダイジンとサダイジンが共闘するようになっているし、そもそも、ダイジンは主人公すずめからすれば敵だったはずなのに、いつの間にか仲間になっているし、設定がデタラメなんだよね。

ところで、この作品って2023年の話だったのか…。“(東日本大震災発生から)12年ぶりの故郷訪問”という台詞があったしね。てっきり、公開が始まった2022年の話だと思っていた…。ロングラン上映やソフト化を意識して2023年にしたのかな?そういうところだけはしっかりしているよね。

とりあえず、本作が中国や韓国で記録的な大ヒットになった理由は分かった。予告編を見た時から主人公が通う高校の制服のデザインに違和感があったんだよね。日本の学校の制服っぽくないなって感じで。韓国映画や台湾映画、タイ映画なんて辺りで見かける制服に見えたしね。でも、それのおかげで、近隣のアジアの国や地域の人からすれば、いかにも日本的な話でなく親近感のあるアジア全域に通じる話と思ってもらえたんだろうなという気がする。

最後に一言。
今回、リテイク版を見直して思ったことがある。この作品って、大震災を描いた作品ではなく、廃れていく日本を描いた作品なんじゃないかという気がしてきた。失われた30年で病んでいった日本が巨大でグロいあのミミズなのではないかと思えてきた。ミミズが現れる場所は廃墟とされているけれど、その廃墟と化した土地が明らかに地震によるものは宮城だけで、神戸の廃墟は遊園地だったからね。バブル崩壊以降貧しくなり、少子高齢化が進んでいる日本を描いているように思えて仕方ない。

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