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焦点がボケボケな「彼女が好きなものは」

正直なところ、原作の時点からそうなんだとは思うが(未読)、この作品の主張はブレブレだと思う。
今回の映画版ではタイトルが短縮されて「彼女が好きなものは」となっているし、以前、別キャストでテレビドラマ化されたバージョンでは、「腐女子、うっかりゲイに告る。」と改題されている。

そうなった理由は明白だ。原作のタイトルが「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」だからだ。

ホモという言葉はホモセクシャルという言葉の略語ではあるが、その言葉を発する人間のほぼ100%が、その言葉を発する際に同性愛者に対する差別とまでは言わなくても、バカにしたようなニュアンスを込めているのは間違いない。それは、レズビアンを略したレズという言葉を使う時も同じだと思う。

なので、世間一般的にはホモという言葉は不適切な用語とされ、公共の場で発するべきではないとの考えが浸透している。
だから、本作ではタイトルからホモという言葉をカットしたし、公共放送であるNHKで放送されたドラマ版では、ホモという言葉をゲイという差別用語扱いされない言葉に差し替えたのだと思う。

ただ、そうした配慮をしたのにもかかわらず、本作では何度も何度も台詞の中でホモという言葉が出てくるのだから、全く理解ができないんだよね…。
結局、ホモという言葉がタイトルに入っていると、テレビや新聞、雑誌などで取り扱ってもらえないから、とりあえずタイトルからホモという言葉をカットしただけでしょ?

そうした配慮の一方で、当事者本人が言うのであれば、差別用語を使っても問題ないという風潮もある。
当事者でない人間が言えば差別用語になるが、ドラァグクイーンとかゲイバーのママとかが自分たちのことをオカマとかホモと呼ぶのは問題ないという考え方だ。

主人公はゲイで、ヒロインはBL好きの腐女子。つまり、当事者だから、主人公やヒロインが発するホモという言葉は差別用語ではない。
一方でゲイでも腐女子でもない登場人物が発するホモという言葉は差別的ニュアンス、もしくは無知から来る不用意な発言という使いわけをしているのかもしれない。

本作の原作者は同性愛者であり、問題意識を提起するために、わざと意図的に差別用語を使ったとも言われているので、おそらくそういう狙いなのだろう。
ニ○ーという言葉を使わずに黒人差別問題を、チ○ンという言葉を使わずに在日差別問題を描くのは不自然なことである。それと同じように、同性愛者差別を描くのであれば、ホモという差別用語を使わないわけにはいかない。
そういうことなのだろうか…。

確かに意識的もしくは無意識的な同性愛者の差別の描写はよく描かれていたと思う。

ヒロインはBL好きと言っておきながら、自分の好きな男子がリアルにBLしていると知るやいなや嫉妬心を全開させている。

幼少時からの親友が主人公が同性愛者と知るやいなや、主人公に対するボーイズ・クラブ的な下ネタをやらなくなる。

自分が差別されないために、主人公をバカにするゲイの後輩が出てくる。

仕事絡みでゲイとの付き合いも多いから、“ゲイの才能がわかる。そして、どの人がゲイかも見抜ける”と豪語するスタイリストが全然見抜けていないどころか差別意識全開なところ。

主人公が同性愛者差別で校内で自殺しようとしたのに、平気で同性愛問題について生徒たちに議論させる教師。しかも、教室では生徒たちが笑い声もまじえて話している。

同性の先輩に対する憧れは思春期特有の気の迷いとさとす主人公の母親。

主人公の彼氏で、ゲイであることを家族に隠しながら生活を送っている年上男をジャニーズ出身者に演じさせている。

そういうリアリティのある描写が色々と含まれているだけに、ホモという言葉が連呼される作品というのはどうなんだろうかという気もするんだよね。

リベラル思想の人はそれだけで差別的映画と見て、見もしないで批判すると思うしね。
せめて、主人公やヒロインのような当事者だけはホモという言葉を使わない方が良かったと思うんだよね。
まぁ、ヒロインは、ゲイであることを隠していた時代の主人公に対して“ホモという言葉を使うのはどうか?”みたいなことは言っていたけれどね。

まぁ、黒人が自分たちのことをニ○ーって言ったりするのと同じ感覚なんだろうね…。

でも、主人公とSNSで知り合ったゲイ仲間がクイーン好きというのはベタベタな設定だよね。
しかも、作中で何度もクイーンに触れておきながら、曲がかからないどころか、ジャケ写やポスターすらも出てこないしね。
まぁ、現在の欧米的リベラル思想だと、クイーン側が楽曲やジャケ写などの使用を許可するとは思えないけれどね。タイトルとストーリーだけで判断すれば、差別的な作品だと思うだろうしね。

それから、冒頭にいきなりソーシャルディスタンスという言葉を出したのに、登場人物が誰一人マスクしていないのはどういうことなの?
しかも、タイムラプスのシーンでも誰もマスクをしていなかった。ということは、あの通行人は作品側が用意したエキストラってこと?そんな金あったのか?まぁ、ノーギャラなんだろうが。でも、撮影スケジュールは余裕があったってことだよね?

同性愛が世間的にはウイルス扱いされているというたとえなんだろうけれど、だったら、きちんとコロナ禍の描写もすべきだったと思うな。

そうした諸々のことを考えると、一体、この映画(原作もそうだが)はどの層をターゲットにしているのか焦点が定まっていないと言わざるを得ないんだよね。

果たして、この作品はLGBTQに対する差別問題を提起する作品なのか。それとも、ゲイをBLと喜んでいる腐女子や、レズビアンを百合と喜んでいるオタクを揶揄する作品なのか。あるいは、LGBTQも腐女子も世間的にはマイノリティなのに、そのマイノリティ同士でお互いに偏見を持っているということを言いたいのか。その辺が曖昧なんだよね。

欧米のマイノリティ差別を題材にした作品のように、ポリコレ色を前面に出すと、自民党支持者の多い今の日本人、特に学園モノ映画のターゲット層である若者や、腐女子を含むオタクに嫌われてしまう。その結果がこれなんだろね。

作中で主人公が、ヒロインが好きなBLコミックをファンタジーと呼んでいたけれど、本作も結局、そういう曖昧な描写にしたせいで、ファンタジーになってしまったと思う。
上映館数の割には興行成績は大失敗と言っていいレベルになっているが、こういう題材の作品は、新宿武蔵野館とかシネマカリテ、テアトル新宿、ユーロスペース、(パワハラ問題は許せないが)アップリンク吉祥寺辺りで上映される規模にしておいた方が良かったのでは?TOHOシネマズ系を中心に公開するような作品ではないよね。
公開規模を大きくしたせいで、LGBTQとかいじめの問題が矮小化されてしまった感はあると思う。

ところで、これって地方都市の話かと思ったら、東京の話だったんだね…。
全然、東京って感じがしないんだけれど…。

それはさておき、ヒロイン役の山田杏奈はめちゃくちゃ可愛い!
マジでガチ恋するレベルの可愛いさだ!


何故か、今年公開された彼女の出演映画5本全てを見ているが、確実にファンになりつつあるんだろうね…。
それにしても、彼女の演じる役ってトリッキーなのが多いよね。あるいは、役自体はトリッキーでなくても作品がトリッキーなヤツとかね…。

今年を代表するクソ映画「名も無き世界のエンドロール」は、最近流行りの時系列をいじくった状態で複数のエピソードを並行して描き、観客にミスリードさせる作品だけれど、不自然極まりない展開だったし、そもそも、映画をなめているエンディングに腹が立った。彼女の演じたヒロインは下層民出身者でいじめだか差別だかを受けていたようだけれど、その説明も曖昧だった。

「哀愁しんでれら」は彼女の演じた役自体は主人公の妹だからそんなにトリッキーではないが、ストーリー展開自体がデタラメな作品でこれも今年を代表するクソ映画だった。

主演作品「樹海村」も今年を代表するクソ映画。呆気にとられまくりの展開だった。

「ひらいて」も主演作で、「樹海村」同様、精神を病んでいる役を演じているし、話もツッコミどころだらけだが、この作品に関しては快作と言っていいと思う。彼女のアイドルパフォーマンスは必見だ!

そして、ヒロイン役の本作もツッコミどころだらけ。そんな作品にばかり出ていていいのだろうか…。

でも、彼女って、見た目の可愛いさからアイドル女優的な扱いを受けることもあるし、「ひらいて」では実際にアイドルパフォーマンスを披露していたけれど、そういうイメージがあるにもかかわらず、キスシーンもしっかりとやるし、性的な描写のあるシーンも厭わないんだよね。

「ひらいて」と本作では下着姿のベッドシーンがあったし(「ひらいて」ではレズビアンの性行為、本作では処女喪失未遂)、「哀愁しんでれら」では太腿を見せつけるサービスカットもあった。
少女監禁ものの深夜ドラマ(関東ではその内容ゆえに放送されなかった)「幸色のワンルーム」で一気に知名度が上がったから、そういう性的な作品もOKってイメージが定着したのかな?

というか、本作は男子生徒と女子生徒のセックス未遂シーンのみならず、大人の男と男子生徒の性行為シーンまであるのに、PG12指定って緩くないか?

とりあえず、山田杏奈が可愛いから、この作品のおかしなところも全部許してしまうことはできると思う。

≪追記≫
そういえば、この手の作品でエンドロールに流れるのがインスト曲だけって珍しいな…。

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