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気になる聖徳太子の出自

意外と知らない聖徳太子の出自を記してみました。

『飛鳥の朝廷』を参考にしています。

興味ない方も本だけチラっと


要するに、聖徳太子(厩戸王子)は...「欽明天皇の孫」

古い順から見ていきます。

欽明天皇の子供は、用明天皇(太子の父)です。そして、用明天皇の子が厩戸王子です。


この用明天皇(太子の父)の真実とは?

用明天皇は蘇我氏を外戚にとする初めての天皇になりました。外戚とは、藤原の栄華時代のように、ええとこさんの家庭が大切な娘さんを天皇家に嫁がせました、嫁に出しましたと。婚約したら、親戚です。仲間です。身内なのです。外から親戚となるということで、外戚という言い方をしています。

外戚になぜなるかというと?

外戚はメリットが大きいからです。天皇の力を利用して、自らの権力基盤を高めることができてしまうのです。(もちろん世間渡りのいい家柄、人でないと頂点に君臨するなんてムリでしょうけど)。古代それをやってのけた人が、学校で習った「蘇我氏」でした。蘇我は稲目の頃から力を持ち始め、蘇我馬子の時代にはからは、十七条の憲法に関わったりと絶大な権力を手にしました。

権力を手にするための布石が、

天皇の外戚になることでした。欽明天皇は長期にわたり40年近く君臨しました。権力は高いです。権力を持ち始めた蘇我稲目は、当時青年であった用明天皇に自分の娘を嫁がせたのです。娘とは誰かというと、堅塩媛です。誰に対してかというと、用明天皇に対してです。こうしてめでたくめでたく蘇我は、「蘇我家」として初めて天皇家と親戚になることができたのです。これで、厩戸王子の祖父母、父母の世代まで見てきました。

厩戸王子へ

用明天皇(父)は誰と結婚したかというと、なんと先程の堅塩媛の姪っことです。要は、母親の姪です。母親の姪と結婚するとは...今の感覚からするとかなり近親交配な気がしますが、当時は母親家系が近いことは大丈夫だったようです。つまり、用明天皇も蘇我系列の女性を娶ることになったわけです。もちろん、他の女性もいますよ。今回は取り上げません。こうして厩戸王子は誕生したわけです。厩戸王子は「欽明天皇の孫」ともいえますし、「蘇我稲目の孫」といえるでしょう。





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