無題

ドラマ「PICU」を見ていて、色々思い出して。
特に何が伝えたいとか目的はないです。
ただ、誰かに話したかったのか
ただ、自分の中にあるものを吐き出したかったのか
まとまりもオチもありません。推敲もしてません。
少しだけここに書かせてください。


「PICU」は小児医療を題材にしたドラマで、放送開始から毎週観ています。ドラマ見る度に吉沢亮くんの顔が綺麗だなー…と眼福。
しかし、それ以上に…うまく言えないのですが、ドラマに出てくる人達の考え方であったり言葉であったりがとても優しいドラマだなと感じています。
優しいだけではなくて、とても難しい題材を丁寧に扱っているとも思います。

11月14日放送で心臓の病気の12歳の子どもの台詞で「身体がしんどくてだるくて、みんなと同じようにできないのが悔しい」(正確には結構違うかもです)というようなものがあり、私もこれまでも、今もそう感じる事がとても多くて自分の気持ちを代弁してくれているように感じ勝手にボロボロ涙が出てきてしまいました。

私の病気は命に関わるものではなかったので一緒にしたら失礼かもしれないのですが…それでも、12歳の時、初めて「側彎症」とわかり、病気の事を知って大きな病院に行くように言われたので重ねてしまうシーンがとても多い。

初めて大きな病院に行った時、広いけど薄暗い診察室でひしゃげてS字に曲がってしまった背骨のレントゲンを見ながら、医師から「このままだと30歳くらいになって肺炎にでもなったらコロッと死んじゃうよ」と言われた事は今でもずっと忘れられない。



そこから現在36歳になるまで24年間。
本当に色々な事があって。
そこを語り出すと長くなってしまうので割愛しますが、本当に色々あって…


今回ドラマの中で12歳の子が「そんな手術するくらいなら死んだ方がマシだ」という台詞がありました。

彼の場合は心臓の移植手術なので、他の子どもの命が終わる事を待つ事になるそれは嫌だ…という理由だったので、一緒にしていまうのはとても失礼なのですが。

私も全く同じ台詞を主治医に言ってしまった事がありました。私の場合は、本当にただただ「自分がそんな手術をするのが怖い」それだけでした。

(でも、多分心臓の移植手術…とだったとしても、ドラマの中の子と同じような事も思ったと思う)

背中を40センチ切り、曲がった背骨にチタンの棒を2本入れて何十個のスクリューを埋め込み、背骨の一部を崩して間に埋め込み背骨がこれ以上曲がらないようにかためてしまうという手術。(10時間かかりました)

とても怖がりで注射すら怖い私は、そんな手術想像するだけでも怖くて。
どんどん曲がっていく自分の背骨も怖くて。
夜も眠れなくなって。

手術するのがとにかく嫌で、毎日これ以上曲がらないようにコルセットやギプス治療をひたすら頑張って。
とにかく怖くて怖くて怖くて。

でも、当時の私はそれを誰にも言えませんでした。

怖くて口に出す事もできなくて。
その事を話そうとするだけで涙が勝手に沢山出て話せなかった。
考えたくなかった。

12歳の私は完全に病気から目を反らしていました。

それでも3ヶ月に一度病院に行く度、進行していく病気。
母は毎回泣いていて、私は自分が泣いたら余計に母が辛いだろうなと思って平気なふりしてヘラヘラ笑っていました。少しでも親から病気の話をされると、触れられたくなくて怒って。
家で自分一人になってから、座布団を顔に押さえつけて一人で泣いて。

ただただ、毎日お医者さんの指示以上につよくコルセットを巻いて。
筋トレをして。お風呂と体育以外はとにかくずっとコルセットをして。
かわいい服とか、制服をかわいく着るとかも諦めて。
ひたすら「これ以上曲がらないで。手術しなくてすみますように。
これ以上お母さんが泣かないように」そう毎日祈るしかできなかった。

そんな生活が多分18歳くらいまで続いて。

18歳の時、診察室に入るとみたことがない若い先生が座っていて。
今まで診てくれていた先生がいなくなって、最初はとても戸惑いました。

前に診て下さっていた先生の移動先も教えて貰えたので、追うのかかなり迷ったけれど、その先生の移動先がかなり遠い病院だったこともあり「この先も長い病気だし…若い先生の方がいいかもしれない」と打算的な考えもありそのまま新しい先生にお願いすることに。

最初は本当に急で「なんで…」と不安に襲われたのですが、この事は私の人生にとってすごいラッキーだったのだと、とても思っています。

その時、成長期も終わり背骨の曲がりの進行も少し落ち着いていた事もあったのかもしれませんが、新しい先生は診察に行く度、まず病気の事じゃなくて普通にどうでもいい事を聞いたり話してくれて。
不思議な雰囲気の方で、なんだろう…それまで病院に行く度お腹を壊してして、病院に行くことも怖かったのに先生にに会うことが楽しみになるような、先生がニコッと笑ってくれると安心するような元気をもらえる先生で。
それまで病院に行く度に泣いていた母の事もとても気に掛けて下さって、次第に母も診察の度笑って帰れるようになっていって。

先生に代わってから、段々自分の気持ちが話せるようになって。
それから何回か先生に会うようになってから、その病院に通い出してから初めて病院で病気が辛い事を話して泣くことができて。

先生が「もう、病気の事で泣くのは病院だけでいいから。ここを出たら、病気の事を悩まず思いっきり学生生活楽しんで」と言ってくれて。
初めて、すごく気持ちが軽くなって。
また親子でわんわん泣いてしまって。

先生と出会って初めて「患者」だけど「一人の人間」として扱って貰えたような、多分患者なのだけど、先生は他の先生と違って、ちゃんと「私」を一人の「人間」として向き合ってくれた感じがしたというか…


しかし、やっぱり病気が進行してしまって真剣に手術も検討しなく
てはいけなくなった時に私が

「そんな手術するくらいなら死んだ方がマシだ」と
泣いてしまった事があって。

いつもニコニコしていた先生が、その時だけはとても悲しそうな顔をして「そんな事言わない」と少し厳しい感じで言われて。


自分でもこんな事思ってはいけないことだ。もっと大変な病気の子もいて、生きたくても生きられない子もいることも知っていたから、そんな事、本当は言ってはいけない、思ってもいけない。
それもわかっていたけど、我慢できなかった。

言葉にしてしまった。すごく罪悪感に襲われた。
先生も困らせてしまった。母にも悲しい顔をさせてしまった。

だけど多分、その時、先生だったから私は「本音」が言えて「怖い」「手術をしたくない」とワガママを言って泣くことができた。

それからも…本当に紆余曲折あり、4年くらいかかってしまったけど私は手術を受ける事ができました。

その後、背骨を固めてしまったから色々あるとは思うのですが、
病気の進行は止められたのだけど、他の不調が色々出てしまって…ままならない事だらけで、結局手術後も病院病院な人生で。

先生にもスッキリ元気です!!!!と言えずに、今も毎回申し訳ない感じなのですが…

先生がいたから、沢山話をきいてくれたから、私はこの病気と向き合えるようになり、ちゃんと納得して手術を受ける事ができたと思っています。(とはいえ、限界まで拒んだので「もう限界だから手術しよう」と先生に決めさせてしまったので状態としてはもうかなり重症の状態で骨を固めたのですが)

これ以上背骨が曲がっていくかもしれないという恐怖からは解放されたので、手術は受けて良かった。
先生に出会えて、先生に手術してもらって本当によかった。


その後は、痛みが続き慢性疼痛や息苦しさが続いていて。呼吸器内科、呼吸器外科、心療内科、ペインクリニック、リハビリ、買うセリング…と色々試したのですが改善されず、今も背中の違和感というかしんどさは消えないのですが、どの先生方も本当によく話を聞いて下さって少しでも私にとって良い方に向かえるようにと治療を模索して下さって。

このドラマを観ていて、改めてこれまでお世話になった病院の先生方の事を思い出して感謝の気持ちが。

私には、とてもじゃないけどできないお仕事だな…とつくづく思います。
本当に色んな病院にお世話になっているので、忙しいお仕事だし必ずしもそんな熱心に対応してくれる先生ばかりではない事も知っているので尚更。

側彎症の主治医の先生は、もう手術から12年経つのに、いまも診察の度手術した背中をさすってくれるし、必ず向き合って座って私の目を見て話してくれます。実はそうやって対応してくれるお医者さんってあんまりいなくて(多分。私調べ。)
でも、何か他のドラマで医師が「手当てという言葉は本当に患者さんのその辛い部分に手を当てること、それも大切なこと」という旨の台詞があり、確かに、人の手のぬくもりに救われることってすごくあるなと感じて。

やっぱり、改めて主治医の先生、良い先生に当たったんだなと。
ラッキーだったと。

と…本当にオチもまとめも何もありません…。
すみません。ただ、ドラマみての思い出話でした。

終わり。















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