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【社史】探究学舎実録25~人生全て結果論~

前回までのお話

大変お恥ずかしい話だが、僕は大学に5年間通っていた。通常大学は4年で卒業するらしいのだが、なぜかもう1年余分に通うことになった。探究の社員は不思議と大学生活を余分に過ごした人が多い。

わざわざ高い学費をもう1年分払ってまでいる必要があるのか?無駄じゃないのか?そこまでして何かやりたいことでもあったのか?というのが率直な感想かもしれない。

大学というところはだいたい4年間で取得しなければならない単位数、必修科目が決まっている。僕の場合124単位。まじめに大学に通えば余裕で取得できるはずなのだが、昔から「興味のないことにはとことん興味のない」という悪癖のせいで、自分の好きな授業ばかりとった結果「必修単位の履修数が足りない」ことに、最終年度の上半期の履修登録が終わった段階で気づいた。つまり、どう頑張っても間に合わない。留年確定だ。

当時住んでいた近くの中野坂上駅の地下鉄ホームで大学から電話がかかってきた。「このままだと卒業できませんが…」と大学職員に言われて、

「わかってるわ!!!!」

という暴言をグッと飲み込み「いやぁ、そうですよねぇ〜」と返したのが2016年の5月。2017年の3月には同期の大半が卒業するところ、卒業時期が1年ずれて2018年3月卒業(見込み)となった。

今考えれば無駄極まりない回り道だったと思うのだが、見方を変えるとこの余分な1年というモラトリアムがなければ、僕は探究学舎に入社することがなかった。前回までお話ししたことも、これから書くことも、その無駄な1年間の猶予の中での物語。

人は常に「最善・最適な判断をしよう」と奮闘するが、実はその判断が最善・最適なものだったのかどうかは「後から振り返ってみなければわからない」ものだ。人生は全て結果論。歩んでみなければわからない。

「辞めたいです」の続き

「辞めたいです」と言われた後、塾長とのメッセージのやりとりをみてみると…


いったい日本中のどこに「ゲバラやれるか?」というメッセージをもらう人間がいるのだろうか。そもそもこのメッセージ、前回のやりとりから1週間ほど間が空いている。というか相変わらず音信不通気味。だがこの時のことは覚えている。たしか電話がかかってきたのだ。

僕は昔から電話に出るのが苦手だ。小学校時代も中高時代も、家にかかってくる僕宛の電話はたいがい「よくない知らせ」だ。塾や学校からの「木元君、最近成績がよろしくなくて…」という電話を母が受け取り、めちゃくちゃ怒られたことは両手じゃ足りないぐらい覚えがある。いまだに携帯に電話がかかってきても出るのを躊躇うレベルのトラウマがある。

この時も「宝槻泰伸」と表示された時、反射的に「怒られる…!」と思ったはずだ。だが結局電話に出た。なんて言われたのか、正確な文言は覚えていないが、ざっくり要約すると

「とりあえず飲みながら話そうや。和政も呼ぶわ」

 とまぁこんな感じだっただろうか。和政というのは、探究スペシャルの生みの親。弊社代表の弟で当時は副社長(現在は退職)。ちなみにこの当時はそんなに喋ったことがなく「なんとなく話しかけづらい怖そうな人だなぁ」という偏見の塊があった(すいません)。

(和政さんの初登場はこの時)

その日か次の日の夜だったと思うが、教室近くの普段行かない串揚げ屋さんに3人で入った。生ビール片手に飲みながら、3時間ばかし話した。

これはこの時に限らない話だが、人と揉めたり衝突した時は「仲裁人」を置くことをお奨めする。室町時代には、しょっちゅう起こる揉め事や訴訟に、町の住人や縁者が「中人(ちゅうにん)」と呼ばれる仲裁人となって、紛争を未然に防止したり解決したりする慣習があったらしい。やはり揉め事の当事者間は「同じ物事への解釈の相違」があり、そもそもそれがどうしようもないぐらい食い違っているから揉めているのだ。なるべく中立の立場で、両者の言い分を聞き、「事実と解釈を分けてくれる」存在は欠かせない。今回で言えば、和さんがその役割であった。

普段塾長と話す時、会話の95%は塾長が喋る。つまり僕は5%ほどしか話さない(というか話せない)。この時は人生で初めて、塾長と「半々」ぐらいで話した稀有な日であった。ありがとう、仲裁人。

ここで僕はあまりにも一方的な愚痴や不満を述べた。いかに自分がここまで探究学舎に尽くしてきたのか、そしてそれがどれほど報われていない(と自分は感じているのか)。僕が喋り、仲裁人は「そうだよね。つまりこういうことだよね」と拙い大学生の主張を翻訳し、塾長は珍しく「なるほどなぁ」と傾聴し。でもその2秒後に「いやでもさ…」と喋り始めたのを仲裁人が押しとどめ…。そんなやりとりが3時間ほど続いた。

「辞めたい」という言葉を発する人は、たいがい本当は「辞めたくない」のだ。だって本当に嫌になって辞めたいのなら、黙って辞めればいいのだから。心の底では引き止めてほしいから、わざわざ口に出して「辞めたい」と言っているのだ。まるでメンヘラ。

本当に大切なのは、辞めるか辞めないかなどという話ではない。授業ができたかどうかでもない。ただ黙って話を聞いてほしいのだ。おぼつかない口調でとめどなく溢れる愚痴を聞いてほしいだけなのだ。これができないがために、数多くの人間関係は破綻を迎えることになった。こんな些細なことさえできれば、どれほど深く入った亀裂も、案外すぐ修復するものなのではないだろうか。

そう言えば前回の記事は「皆さんが塾長なら、こんなメッセージを受け取ったらどうするだろうか?」という問いで終わったと思うが、あえて正解を作るのなら。

飲みにいて黙って話を聞くwith仲裁人

ということになるだろう。そして僕は驚くべきほど単純な人間だ。単純すぎて履修登録のミスに履修登録後に気づいたほどだ。そんな僕は、3時間話を聞いてもらって、びっくりするほどスッキリしてしまった。今でも覚えている。とんでもなくスッキリしてしまった。会計が終わったテーブルで、僕は塾長と和さんに言った。

探究は続けようと思います。これからもよろしくお願いします。

ほんとただのメンヘラだ。二度とこんな醜態は晒したくない。

でゲバラはどうなったの?

結局ゲバラの授業は2週間遅れでやることになった。授業当日に間に合わなかったその日は、前回も登場したムラちゃんがピンチヒッターをつとめてくれて、急遽ウイルスの授業をやった。だから休校期間中の無料Youtube授業でムラちゃんが、ジェンナーとワクチンの授業をやった時は、他の人の8倍は感慨深かった。

2週間遅れの授業は、今見てもひどいスライドだなと思うのだが、それでもやり切ることができた。授業の最後はこんな1枚で締め括られている。


もしも身近な人に「辞めたいです」と言われたら、僕はどうするだろうか?今でもふとこの時のことを思い出して、考え続けている。

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