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【社史】探究学舎実録24~たった一度の「辞めたいです」~

前回までのお話

タイトル24本目にして、時系列で言えば2016年から2017年となった。最近も日々新しいことが次々に生まれ、社史のネタが溜まってきている。果たして書き切ることができるのだろうか…。

変わらずに生きるためには

”変わらずに生きるためには、自ら変わらなければならない”

ルキノ・ヴィスコンティ監督の傑作『山猫』の中の1シーン。激動のイタリア統一戦争を舞台に、新しく変わりゆく時代の中で、名門イタリア貴族の移ろいを描いた作品の中に出てくるセリフだ。

世の中は絶えず変化し、その中で人も企業も日々変革を迫られる。だけど、人間はそんな簡単に変わることができない。だからその狭間でもがき、苦しむ。今も昔も。

2016-2017年は探究学舎にとって激動の年だった。従業員の大半が離れたこともさることながら、この年には今の主力事業である探究スペシャル・ウィークリー探究(2ヶ月1テーマで新しい授業をリリースする)という「小学生向けの興味開発コンテンツ」を生み出し、世間の知名度もさらに向上した。売上も立ってきた。

だがこれは裏を返せば「今までやってきたものを捨てざるを得ない」ということでもある。人も金も時間も無限にはない。主力事業にリソースを投下するということは、非主力事業は徐々に縮小を迫られるのと同義だ。

当時の探究学舎において徐々に非主力事業になりつつあったのが「受験指導」と「中高生向け探究ゼミ」の2つ。そしてその2つにのみ関わっていたのが、当時の僕である。つまりどういうことか。順調に仕事がなくなっていった。

忙しい時は週5日フル出勤であったが、この時期になると週2回、ともすれば週1回の出勤であった。何かと出費の多い大学4年生にとっては冷える懐はなかなかこたえる。

何よりも、自分の仕事が減れば減るほど、自分の居場所が少しずつ、でも着実になくなっていっているということだ。真綿で首を絞められるように。塾生時代から数えて4年も探究学舎にいるのに、だ。人が足りない時はシフトにたくさん入った。自分の私生活をかなぐり捨ててでも探究に関わった。なのに人が余っている時は、容赦無く仕事が減る。労働力のバッファ扱いされているようだ。

僕がもう少し器用な人間なら、新しく始まった小学生興味開発事業に関わろうとポジティブに思えたかもしれない。だが生憎の人見知りで、塾長のように軽やかに笑いをとりながら授業もできない。「子どもの関心を惹きつける」ようなアイデアが水のように湧き出ることもない。

そして思い悩むぐらいなら行動すればいいのに、何でもかんでも人のせいにして何もしようとしない自分の怠惰さと才覚のなさが情けなくてたまらなかった。結局徐々に探究のある三鷹に行く頻度は減っていった。

同時期、別の教育系NPOでやっていた活動にインターンとしてコミットすることになった。やっていることが楽しかったのもさることながら、誘われたことがとても嬉しかった。大学4年以降の生活は、その後8割このNPOに費やされることになる。

探究学舎を辞めるかどうか迷っていました。

さてこういう時に事件というのは起きるのだ。2017年は4月の出来事。三鷹の教室では、今となっては探究学舎の名物コンテンツとなっている元素編が初めてリリースされていた時

久しぶりに中高生授業でコンテンツ制作を任された。当時は水曜日と金曜日に2時間のクラスだった。テーマは担当講師が好きに選んでいたのだが、偉人編という立て付けで、いろいろあってチェ・ゲバラが選ばれた。

チェ・ゲバラ(Wikipediaより)

だが運の悪いことに(というか正確には僕のスケジュール管理能力の欠落により)授業制作とほとんど同じ時期に、もう1つ関わっていた教育系NPOでの企画作りがモロ被りしてしまった。

結果、進捗は芳しくない。今ほど授業作りの構想がポンポン出てくるわけでもなく、相談できる人も少なかった。ところが人間不思議なもので、進捗があまりないと「正直にできていないことを告白して、叱られてでも最悪の事態を防ぐ」ことよりも「連絡を絶って少しでも問題に直面する瞬間を先延ばしにする」ことを選んでしまう

挙句の果てには塾長からこのようなメッセージをもらうハメになる。こんなこと冷静に考えればわかるはずなのに、僕のような頭のキャパが狭い人間は、要領以上のタスクがあると「優先順位と重要順位」が付けられなくなるようだ。

で、どうなったかというと。リリース当日までに授業を完成させることができなかった。僕の人生で唯一の「納期に間に合わなかった」結末となった。当然のようにお叱りが飛んできる。

塾長の言っていることは何も間違っていない。自分も社会人になってより一層感じる。納期に間に合わせることがいかに大事で、その過程で「報告・連絡・相談」を絶やさないことがどれほど組織にとって欠かせないことで、「できない仕事を引き受けないこと」が社会人生活においてどれほどのトラブルを避けるのか。よーくわかる。わかるのだが。この後の返信に当時の心境が全部詰まっていた。

惨めだと思わないか?できないとわかっているのに、自分の存在証明のために仕事を引き受けて、結局うまくいかなくて、捨て台詞のように「やめるかどうか迷っていました」とほざいている。情けない姿だ。

探究学舎に関わってかれこれ11年が経とうとしているが。「辞めたい」と言ったのは、後にも先にもこの時だけだ。

さて、これを読んでいる人にぜひ聞いてみたいことがある。皆さんが塾長なら、こんなメッセージを受け取ったらどうするだろうか?続きはまた次回ということで。

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