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【社史】探究学舎実録19~拡大する探究学舎~

前回までのお話

『強烈なオヤジ』の宣材写真

前回の記事では『強烈なオヤジ』の出版に至るまでの物語を書いた。そしたら記事中にも出てくる、当時徳間書店の編集者として出版を取り仕切ったNさんより、当時の宣材写真を何枚かいただいた。せっかくなのでご紹介しよう。

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撮影/大駅寿一

僕の記憶が間違っていなければ、この本の文庫本化に当たって、本の表紙写真を撮影することになり、塾生から撮影に協力してくれる人を募集したのだ。

ちなみに文庫本はこちらだ。

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撮影/大駅寿一

小学生から中学生まで、撮影に協力してくれた生徒は、探究学舎の近場の公園に集合した。たぶん小金井公園だったのではないかと思う。ちなみに、どうしてこんなに多くの生徒を集めることに成功したか、お分かりだろうか?

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撮影/大駅寿一

そう、協力者にはお寿司が振る舞われたのだ。モノやカネでうまく釣るのは、今も昔も宝槻家の伝統芸能だ。いやはや、恐れ入る。

TanQ-Familyの立ち上げ

長く前置きのような文章を書いてしまった。本題に入ろう。すでに何度も書いている通り、2014年に探究学舎は拡大期に突入した。より具体的にいうと、それまで細々と行なっていた興味開発事業を本格稼働させるようになり、それが可能になるための人的リソース、すなわち社員が増えたのだ。

そして何より、こうした新たなチャレンジが可能になるぐらいの余力や探究への注目度を生み出したものこそ、STORY.JPの記事がバズったこと、そして『強烈なオヤジ』が出版されたことがきっかけであった。

やや時系列が進んでしまうが、2014年の11月に、当時33歳の社長がFacebookでぶち上げた宣言文が残っている。やや長くなるが、ちょっとみてみよう。

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アツい長文の宣言をFacebookに投稿する我が社長の性質は、この当時から炸裂していた。しかし、今まで社史で書いてきた内容の総括とも言える部分があるので、文中から引用しよう。

1年前に本格的に動画制作をスタートしたのも、8ヶ月前に高校生向けコンテンツから幼少向けに切り替えたのも、7ヶ月前に自分の家庭教育ストーリーを投稿したのも、4ヶ月前に初めてメディアインタビューに答えて記事を書いてもらったのも、3ヶ月前に本を出版したのも、同時に家庭教育サービスのモニタリングを始めたのも、そして毎月保護者向けのダイアログを実施しているのも、全てはこの日のために。新しいカタチの教育サービスをスタートするこの日のために、準備を重ねてきた。

部下への叱咤激励の際「アップルはそんな仕事しねーから!!」という名言(迷言?)を炸裂させるぐらい、うちの社長はアップルびいきであり、ジョブズを尊敬している。そんな社長にとって、今まで行ってきた動画制作や、STORY.JPへの投稿、メディアへの掲載に本の出版といった点と点が結びついた瞬間が、この日だったともいえよう。

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スティーブ・ジョブズ(写真はwikipediaより引用)。彼が行ったスタンフォード大学の卒業式の演説で「Connecting dots(点と点をつなぐ)」という名言が生み出された。社長はよくこの表現を引用することが多い。

さて、社長がこの時生み出したのはTanQFamilyという家庭教育サービスであった(プラスその運営会社としてのTanQ株式会社)。いってしまえば、現在探究学舎が行っている興味開発事業の家庭教育版とでもいったらわかりやすいだろうか?

毎週サービスを受ける家庭に教材(動画やブック)が配信され、その動画(だいたい1本20~30分ほど)を親子で見ながら探究を深め、動画視聴後にはより家庭で学びを深めていけるよう仕掛け作りをして、興味開発文化を各家庭に広めていくことを企図していた。ちなみに動画には社長も登場するのだが、こんなキャラクターを演じていたりもした。

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当時のことを知っている保護者・生徒の中には、社長のことを「博士」といまだに呼ぶ人もいる。とまぁこうして、探究学舎は新たなるフェーズに突入したのだ。順風満帆の船旅といっても良いかもしれない。

組織はなぜ分裂するのか?

ではこのTanQFamilyというサービスはその後どうなったのか?結論から言おう。2014年に探究学舎にコミットした社員は、その後全員探究を辞め、現在は別会社で探究型の教育事業を行なっている。

せっかく社員の数が増えて事業が拡大したにも関わらず、社長以外の社員が全員辞め、探究学舎の構成員は社長1人となってしまった(より厳密にいうと、僕含め数人のアルバイトも残ったが)。2016年の4月から7月までの出来事であった。

特に僕自身が隠すことでもないので書いてしまうが、辞めた社員が教育事業を行なっているのは、上にも書いたTanQ株式会社である。「探究」の文字を冠した会社が2つあり、しかももともと同じ会社組織であったという、大変説明の面倒な状況なのだ。

さて、この「探究学舎の分裂」がのちの探究学舎運営・経営にもたらした影響は甚大であった。かつ、おそらく社長個人の心理に与えた影響も計り知れないはずだ。

ところが。不思議なことに、これほど大きな事件だったにも関わらず「なぜ探究学舎は分裂することになったのか?」という問いに対する回答は、驚くほどバラバラである。社長の見解と、分裂した側の社員の意見と、当時探究学舎に通塾させていた保護者の意見、客観的に両者とつながりのある人の意見、そして当時も今も探究学舎に関わっている僕の意見。全てバラバラなのだ

僕がこの『探究学舎実録』を書いている理由は、ズバリ「探究学舎の分裂がなぜ起きたのか?」という真実をつまびらかにしたいためといっても過言ではない

歴史学を大学時代に学んだ身としての興味もさることながら、この事件からのちの会社運営に教訓を残したいという情熱もある。でも僕は純粋に知りたいのだ。ただただ不思議なのだ。そんな僕の素直な好奇心に、読者のみなさましばしお付き合いいただきたい。

また今後様々な見解を書き記すが、あくまで僕個人の意見であって、会社全体の見解ではない。かつ、探究学舎で働いている身ではあるが、限りなく公平・公正に真実を明らかにすることを目的としているので、特に会社や社長に配慮して記述を歪めることはしないので、安心してもらいたい。

あとがき

さぁ、ついにいよいよ分裂への序章…!!この記事を書くにあたっていろんな人の意見を聞くべく、取材を重ねてきました。次回以降はまず2014年から分裂が起きた2016年までの間に何があったかを記していこうと思う。

追記

上にも書いたが、これはあくまで「大学3年生の青臭く未熟で無知な木元という事情もよくわかっていない一アルバイト」の当時の所感である。例えば「社長以外の社員が全員辞め、探究学舎の構成員は社長1人となってしまった」というのもあくまで僕からしたらそう見えたと言うだけであって、実は事実ではない。そこらへんも含めて丁寧に取材を進めていこうと思っている。

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