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シリーズ日本アナウンサー史⑨日米開戦の夜明け前

1941年12月8日、国内放送を終えた午前2時。
日本放送協会の海外放送 ラジオ・トウキョウから不気味な天気予報が放送された。
「西の風、晴れ、西の風、晴れ」
当直で詰めていた海野春樹アナウンサーによるアナウンスが海外番組の合間にしきりに繰り返された。
これは「在外公館は全ての重要書類を焼却し、重大事に備えよ。」という意味の暗号だ。ちなみに「西の風 晴れ」は日英関係危機「北の風 曇り」は日ソ関係の危機を意味していた。
日米関係悪化を意味する「東の風 雨」も放送されたという話もあるが、記録は残されていない。

この日、放送指揮室には当時人気絶頂だった和田信賢アナウンサーがいた。和田の前の電話が鳴ったのは午前6時50分。
陸軍省へ行っていた報道部の永井順一郎記者からだった。
和田は永井が言う通りに鉛筆を動かす。「大本営海軍部、本八日午前六時発表。帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋に於いて米英軍と戦闘状態に入れり。」
和田は震える手で電話を切るやいなや報道部のダイヤルを回した。
報道部へ先に入るべき原稿が、誤ってアナウンス指揮室へ入ってしまったのである。

この重大発表は、午前7時直前にスタジオで待つ館野守男アナウンサーへ手渡され、12月8日 午前7時、日米開戦の報せが日本国民に届けられた。

太陽もいつかは沈む。破竹の勢いで進撃を続けた大日本帝国に不吉な足音が迫っていた。

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