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日本アナウンサー史

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記事一覧

シリーズ日本アナウンサー史⑪日本の一番長い日

1945年8月15日 午前7時21分。 「謹んでお伝えいたします。かしこきあたりにおかせられましては…

7月1日は開局記念日!おかげ様でラジオ大阪63歳。開局当日の放送を振り返る。

きょう7月1日は、ラジオ大阪の誕生日。 多くのリスナーの皆様に支えられ、おかげ様で63歳の誕…

シリーズ日本アナウンサー史⑩学徒出陣 「今後何があっても若者を戦場へ送り出さない…

“赤バット”の川上哲治、“ミスタープロ野球”長嶋茂雄らの肖像レリーフが並ぶ野球殿堂博物館…

シリーズ日本アナウンサー史⑨日米開戦の夜明け前

1941年12月8日、国内放送を終えた午前2時。 日本放送協会の海外放送 ラジオ・トウキョウから不…

シリーズ日本アナウンサー史⑧「兵に告ぐ」二・二六事件 中村茂

1936年2月26日未明、第一師団及び近衛師団所属の将兵1,400名は数隊に別れ、高橋是清大蔵大臣、…

シリーズ日本アナウンサー史⑦年下男性と心中 元祖女子アナ 翠川秋子

1925年6月25日、当時珍しかった洋服に身を包み、髪をショートヘアーに整えた美女が颯爽と東京…

シリーズ日本アナウンサー史⑥「前畑がんばれ!」伝説のスポーツアナ河西三省

松内則三による水泳実況の2年後、1936年8月11日。 真夜中というのにどの家にも灯りがともっている。全国民が「今か今か」とドイツからの中継に耳を傾けていた。 放送開始予定時刻の深夜0時を過ぎると「スイッチを切らないで下さい、もう予定時刻ですが、切らないで待ってください、そのまま待って下さい。強敵はドイツのゲネンゲルです。はじめ抜かせて、あとでぐんぐんつめるのがわが作戦です。大日章旗を揚げるか揚げないかの境目です。」と実況アナウンサー河西三省の声が、はるかベルリンから届けられ

シリーズ日本アナウンサー史⑤「早慶戦」 魂のスポーツアナ 松内則三

魚谷忠アナウンサーの壮絶な8日間が終わってすぐの1927年8月24日、東京放送局でも野球実況中…

シリーズ日本アナウンサー史 番外編 ラジオ誕生までの物語

1906年のクリスマスイブ、アメリカ・マサチューセッツ州から突如として「O holy night」の演奏…

シリーズ日本アナウンサー史④初の野球実況中継 魚谷忠

名古屋放送局が初の式典中継を行い、東京放送局がそれに続き松田義郎による名アナウンスで注目…

シリーズ日本アナウンサー史③式典中継の第一人者 松田義郎

日本の放送は大正から昭和へと移り変わる節目の時期にあたる1925年に産声を上げたため、多くの…

シリーズ日本アナウンサー史②もう1人の第一声 初の番組MC 大羽仙外

黎明期のアナウンサーの中に報知新聞の元嘱託記者であった大羽仙外という男がいた。 1924年10…

シリーズ日本アナウンサー史① 第一声 京田武男

私は大学時代、法学部で政治行政を専攻していたのだが、一方で「日本近現代史」のゼミに入り、…