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戦後79年 皇居「御文庫付属庫」の今

 太平洋戦争終戦から79年、改めて昭和天皇の当時の状況が報道されました。 皇居に防空壕があったことはあまり知られていません。 また、天皇の防空壕であることを公表することはできないため、「御文庫付属庫」という名称で呼ばれていました。

 重要なのは、太平洋戦争終結の御前会議(ポツダム宣言受諾御前会議)がこの防空壕で行われ、日本は敗北を認め、戦争は終結を迎えました。
掲載写真は、ポツダム宣言受諾の御前会議が執り行われた御文庫付属庫の会議室の現在の状況です。
 (宮内庁ホームページ掲載写真を転用しています。)

 80年近く放置されていたため、床は抜け、壁は落ち、鉄の扉はさびてしまっています。
しかし、この場所で日本の運命が決断されたことは心に留めるべきことではないかと思います。
御文庫付属庫については、宮内庁のホームページに詳しく掲載されていますので、一度ご覧になるのも良いかと思います。