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大学時代①

札幌大学は、札幌でも端の方の南区西岡という場所である。地下鉄澄川駅で降りて歩いて30分といった所だ、澄川から中心の大通りまで約10分だから、そこまで田舎ではなかったがその頃、札幌大学は西岡レジャーランドと呼ばれていた(笑)

まぁ確かに一年生から車を乗り回し、夜な夜なススキノで遊んでいる生徒が多かったから、仕方もないことだろう、多分在校生の6割は本州の人達だった、まぁ大学生時代ぐらい、大いに遊ぼうといった坊ちゃんが多かった、それに札幌大学は女子短期大学が付属している。学食などは兼用なので、女性の比率が高かったのだ、そんなところも、大学に入る要因だったかもしれない。1年生の時は学校の教授がやっていた、[西岡マリア荘]という下宿を、兄が探してきた。全部で10人くらいの小さな寮でアットホーム的だった。そして自分は軽音楽部に入るつもりだったのだが、なぜか入部しなかった。旭川で[安全地帯]を聞いていた自分にとって、先輩たちの腕はあまりに低かった。まぁたまたまだったのかも知れないけれど、一度顔を出しただけで入部するのを辞めたのだ、まぁそれが後によかったことになるのだけれど、結局ギター好きな友達とかは出来たけど、結局グループを組むことはなく、卒業するまでソロで弾いていた。

大学生の頃はホントにバイトばかりしていた。兄と自分の二人分、十分に仕送りするだけの財力が、実家にはなかったからだ。マリア荘の頃は、近くにあるボイラー掃除の仕事が定期的に入ってきた、でかいボイラーの中に入り錆を削っていくのだ、錆だらけになるし、社員(中卒上がり)がわざと、重い荷物を持たせるので、イヤだったが定期的に仕事が入るのでやらざるを得なかった。1年生のとき、冷凍倉庫のバイトもやった、普段はアイスクリームを、注文に応じてパックに詰めるのだが、中々目的のアイスが見つからないと寒さで痺れてくる、多分マイナス20度くらいだと思うが、30分もいるとつらかった。そして冷凍イカのパック詰め、一度固まったイカを水に通し滑りをよくして、ビニールに包み、そしてダンボールに入れる。ずっと立ち詰めで一時間もやると腕の感覚がなくなってくる。そして最後は冷凍食品の取り出しだ、マイナス40度はあろうところから、マグロなどをピッキングしてくる、ここには10分しかいられない。防寒着を着ていても、まつ毛が凍って鼻で息が出来なくなる。ホントに辛かった。

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