コンプライアンスという背骨に肉付けされた胡散臭い世界。 言いたい事も言えないそんな世の中が数年前から到来し、それが良しとされている昨今。 ダンス業界のホワイト社会化も目を見張るものがあり、スキルも経験も関係無く上手くSNSを利用さえ出来れば誰もが発信を出来て、一定数のファンを獲得できる時代。 言い換えれば井の中の蛙や裸の王様になってしまいやすい(仕立て上げられやすい)世の中。 確かにそれでも何も困らんもんね。 でもそれでええんか?? 血の滲む努力の結果成功したダンサーを
4年前に開始させた当note。 コロナ禍という奇想天外なパラレルワールドを挟んだ末の4年越しの更新。 引き続き、まずは過去約15年間に自分が文章に落とし込んできたダンスの事を、39歳の"いま"の自分の感覚で掘り返していきます。 セルフ掘り返しが終えた後の自分の感覚が今からもう楽しみ。 これは言うなれば温故自新。 過去の自分の発言でも違うと思ったら大いに否定していきます。 そして 私事ながら、この4年間で父になりました。 一言では言い表せられませんが、世間一般とは一味違った
こんにちわ。 実に4年ぶりのnote投稿。 ここ4年間で変化した事は特にありませんが、 あるとしたら“父になった”という事くらいです。 私事はまたの機会に 今日は 【踊っている時にお客様から発せられる手拍子】 について深く考察し、僕なりに哲学していこうと思います。 それではいきます。 音聞こえへんからやめれ! 以上
生徒達それぞれの [嫌いな動き]を1レッスン内で [好きな動き]まで持っていけるのか。 子供達の[嫌い]というのは 言い換えたら [あまり知らない] 又は [知ろうとしないままでいる] という事やと再確認。 知れば知るほど好きになる。 でも[好き]と[なんか得意]を混合してしまい、出来たと思い込んで大切な事に気付かんまま先に進んでしまう子達も、進ませてしまう大人達もたくさん居てるって事が分かった。 嫌いを通過した上での好きが一番最強 勘違いし
音を見せる。 ダンサーは肉眼で見える事の無い空気の振動である「音」を見せる事が出来る。 当たり前やけど、改めて。 すごい事。 ちょっとした魔法やね。 1つの音に対して、まずは当たり前の質感を瞬時にチョイスして体現する。 ほんでまた、受容側に伝わらないと意味が無い。 『音を楽しむ』音楽では無くて 『音を楽しませる』音楽。 音は点。 曲は線。 音という点が連なって、重なり合って、曲がって、畝って、渦巻いて、曲という線になる。 点も、
本当に個性的なヤツは個性なんか意識もして無ければ、眼中にすら無いもんで。 動きとしての個性をあえて消してからでも湧き出てしまう個性こそが真にその人の個の性であり特性。 「個性を大切に」なんて、教える立場であるダンサーやインストラクターがそれらしく口に出して言えば、それはある種の逃げ道にもなる。 個性を尊重するなんて、言うまでも無いレベルで大切な事。 かといって何でもかんでも個性で片付けて良いわけでは無い。 同じ事を反復的にやりまくって、それでも滲みでる特徴こそが真の
15年ほど続けた(SNSが普及してからはかなり放置気味でしたが)amebloからこちらにいよいよブログ的なモノを引っ越し。 フォロワーさん達のタイムラインに強制的に表示されるSNS群とは別に、わざわざアクセスしないと覗き見る事の出来ない昔ながらの“ブログ”形式の表現媒体もこの時代には大切やな、と感じて色々吟味した結果、かけがえのない日本一周の旅の記事や、自分の半生が記されている以前のamebloも残しつつ、このnoteとやらを始める事にしました。 それに、自分に興味を持っ