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無果汁キラージュ#2

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 ローテーブルを囲む三人は本題の入り口となる会話をしていた。
 

「ナビくん、見れば見るほど妹にそっくり〜」
「性格?」
「見た目だけかなあ、中身は真逆かも」
「僕の中身を知ってるつもりですか?」

 ナビが肩をすくめると、フワリは「これから知っていくの」と包み込んだ。

 きらきらしているのがキラ、ふわふわしているのがフワリ。他人のフルネームを覚えるのがとにかく苦手なナビだが、覚えやすいのでもう覚えた。

「キラーさん、連絡先を教えてください」
「うん?」
「そこで僕の口座番号を教えるので、30万円を一括で振り込んでください。その代わり、学校以外の時間はなるべくキラーさんに預けます」
 美少年の覚悟を理解したキラは不敵に微笑む。

「自殺の真相を突き止めるアルバイト、引き受けてくれるってこと?」
「引き受けます。だって、気になるから」

 ナビは自分で言って、頷く。

「プロローグだけを読んで本を閉じるなんてさすがにできない」
「きみの観察力の高さは買っているよ」
「この1ヶ月間本気で調べて、それでも自殺以外の結果が出なかったら諦めて認めましょうよ。これを最後にするんです」
「私、納得できるかなあ」
「身内は必ず『あの子が自殺なんてするわけない』って言うものですから」

 長い前髪の隙間から、宝石のような瞳をきらめかせたナビがフワリの未練を切り捨てる。

「そうだね、この1ヶ月でおわりにすべきだ。5年って、忘れるにはとても短いけど同じ温度で記憶し続けるにはもう長い」
「私の時間の感覚って、幼馴染なんかじゃなくて自分自身で決めるものじゃない?」
「主観じゃなくて一般論だよ」

 ナビに同調したキラが淡々と告げると、フワリはムッとして唇を尖らせた。ナビに言われるのはいいけど、フワリに宥められるのは腑に落ちない。


 ナビにとって、5年前に亡くした妹のことを心の引き出しの手前に置き続けるというのがどういう感情なのかよく分からない。そして分かろうともしていない。

 見知らぬ死人よりも、目の前で生きる人に幸せになってほしいと願ってしまう。

「僕は、成仏っていうのは生きている人の話だと思ってます。死んだ人の気持ちなんて分からないし、分かろうとするのは非常に烏滸がましいですね」

 法律には“解釈”がある。なるべく自分が有利になるように身勝手に解釈をして、それを全ての人にとっての真実みたいな顔をして説得の材料にする。ナビはそういう話し方をする。
 
 カウンターに置かれていたタブレットに手を伸ばし、顔認証でパスワードを解除したフワリはロックのかかったメモアプリを開いた。そして読み上げる。

「妹のアカリが死んだのは、彼女が一人暮らしをしていたアパートの一室。死因は毒ね、青酸カリ」
「青酸カリ?18歳の女の子が致死量を入手?」
「まあ、計画的な自殺なら不可能とは言えないわな」

 不可能かどうかはアカリの人脈や環境によるだろう。まずは彼女について知るのが先だとナビは考えた。

「科学的な話は分野の外なので、動機みたいな文脈的部分から考えましょう。僕は文系なので」

 するとフワリは思い出をなぞるように柔らかく、しかし微かに切なそうな表情で妹について話し始めた。

 ああ、彼女は妹のことを愛しているんだなあと優しいきもちになる。しかし、すなわち彼女から聞ける“アカリ像”には主観バイアスがかかっているということだ。

「動機に関係するか分からないけど、親に反対されながら妹は地下アイドルをやってたの。アルバイトしながら一人暮らしで、経済的に余裕があったとは思えないな」
「フワリさんから支援なんかは?」
「たまにご馳走してあげたりはしたけど、学生だったし全然お金なかったよ」
「えーと、ご両親は?」
「医大生の姉に金を注ぎ込んだ中層階級の共働き夫婦が、自称地下アイドルのフリーターに投資すると思う?」

 さすがのナビもこれには沈黙を選んだ。愛情は換金できないが、無償でもない。

「大切な娘を亡くしたことは心を痛めてるし、きっと自分らを責めてもいる。だけど当時、うちの親が地下アイドルを認められなかったのは仕方ないし真っ当だよ。むしろ、就職も進学もせずにふらふらしてるから苦しんで自殺に手を伸ばしたと思ってる」

 苦々しい表情で話し続けたフワリに対し、大きな瞳で瞬きもしないナビは清々しく口を開いた。

「この怪事件について、追求されなかった理由は察しがつきました」

 当事者のフワリは「1つ目の解明ってこと?」と何もわかっていなさそうに尋ねる。ナビは首肯した。

「アカリさんの身近な人間で毒薬を入手しやすいのは、残念ながらフワリさんですものね」
「私?」
「歯科医を目指す優秀な姉が容疑者とされるより、文字通りスターとなってしまった自称地下アイドルの妹を犠牲にしたほうが都合が良かったと、」
「待って。私がアカリを殺したって、疑ってるの?」

 理路整然と話すナビを遮り、穏やかなフワリにしては珍しく低い声が出てしまう。一瞬だけ驚いたように長い睫毛を羽ばたかせたが、すぐににっこり微笑んで彼は首を振った。

「まさか。犯人が自ら完全犯罪とされたものを暴こうとするなんて思っていません。でも、毒殺の場合、フワリさんが疑われやすいだろうなっていうのは一般論です。あなたが直接手を下さなくとも、例えば妹さんが欲しがった薬を密かに横流しして気付かぬうちに自殺に手を貸していたとか」

「そんなのしてない。もし思い当たる節があれば自白してる」
「まあ、そうでしょうけど。可能性の話です」
「信じてくれる?」
「僕は信じますよ、もちろんです。だって僕はフワリさんの味方だから」

 芝居がかったせりふで、机の上で組まれていたフワリの両手をそっと握る。フワリは心臓がどきんと激しく鳴り、肩をびくっと揺らしてしまった。

 異性からのボディタッチに不慣れなわけもなく、そもそも一回り近く歳の離れたかといって不快感を覚えたわけでもない。ただ、無機質な人形が急に動いたかのような奇妙さに驚いたのだ。

 不敵に持ち上がる口角が妙に妖艶で、でもそれ以外はさりげないボディタッチをしたとは思えないほどクソガキじみている。そのアンバランスさが不思議な魅力だった。

 探り合うように見つめ合うフワリとナビをやんわり引き離しつつ、二人の手と手を解いたキラが尋ねる。蒸し暑い空気にするな。私の家だぞ。
 

「ところで、アカリはどんな地下アイドルだったんだ?姉妹なのに知らないってことはないだろ」

 動じることもなくフワリが答えていく。

「姉妹なのにっていうけど、実際あんま知らないのよね。私を含む身内に見られるのを恥ずかしがってたから見に行くのは控えてた。元気よく“あかりんご!”って自己紹介してたのは覚えてる」
「なるほど、お名前の“アカリ”にかけてるんですね」
「林檎がトレードマークみたいで、アカリの部屋には林檎をモチーフにしたグッズが並んでたよ。ファンの人から貰ったりしたみたい」

 気になったナビはその場でスマートフォンで検索した。5年前に活動を停止した地下アイドルとしては妥当な件数がヒットする。

「界隈での知名度はそこそこあったんですね」
「アカリが運営していたSNSアカウントは当時で5万人くらいのフォロワーがいたよ。うちの妹って顔がかなり可愛かったから自撮りでバズったりしてたの。ファンの実数はもっともっと少ないと思う」

 妹の美貌を前提としたフワリの主張に、キラが鼻で笑った。

「姉の贔屓目って偉大だね」



 結局その日のナビは、電車に乗って帰宅した。

 意外に過保護な面をもつキラが自宅まで車で送り届けようとしたが、通学定期の圏内だったナビはそれを拒否して一人で帰った。二人で帰るほうが気まずいわ。


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 翌日の放課後。キラのマンションに向かうナビは、エラーとともに電車に揺られていた。

「ナビ、次の金曜空いてる?」
「ノー。今月はどこも空いてない」

 悪魔に時間を売り渡したナビは申し訳なさそうにかぶりを振る。誘った本人は落胆というより驚いた。

「忙しいの?なんで?」
「短期バイト始めた」
「今の俺の最推しの現場に連れて行きたかったのに」
「来月なら行くよ」

 エラーはどうせまたすぐ誘ってくる。ナビはその程度に考えるが、アイドルが来月までアイドルでいる保証はない。

 エラーが新しいスニーカーを履いているのを見つけて、ふとナビが尋ねた。

「ねえ、要らないものを貰ったときってどうしてる?」

 「てかスニーカーいいね」とナビが添えると、エラーは「せんきゅ」と小さく返した。

「なに、要らないもの貰ったの?」
「そう、蝶々のピアス。送り主はもう付き合いがない男」
「ナビの貢がせ癖ってすごいよなあ」
「僕、いっぱいのお金とちょっとの食べ物しか欲しくないのに」

 ナビがそれらを欲する理由をエラーは知っていた。潔癖症のナビは他人の手料理を口にできないのだが、この数ヶ月は父親の再婚相手だか恋人だかが手料理を振る舞おうとするため家族の食卓から逃げ回っているらしいのだ。外で食べてから帰る、とよく連絡を入れているのを見かける。

「プレゼントも手料理も、何が混入しているのかわからなくて怖い」
「何って、毒とか?無いだろ」
「いや、呪いとか愛とかそういうの」

 ナビの言葉に、エラーはちょっと考え込んだ。

 相手を喜ばせたいとき、そこには自分の傲慢が潜んでいる。相手にとっての自分の価値を、贈り物によって高めたいとか、自分の趣味を押し付けたいとか、あわよくば自分もお返しを貰いたいとか。それらを綺麗に包装したものがプレゼントだ。

「まあ、わからないこともない」

 エラーには貢ぎ癖がある。地下アイドルを応援していると、手軽にアイドルの笑顔を見られるのでついつい貢いでしまうのだ。自分ひとりに向けた特別な笑顔と「ありがとうね」のリップサービス。快楽物質がドバドバ出てくる、これ以上に有意義なバイト代の使い道をエラーは知らない。

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