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無果汁キラージュ#3


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「俺が初めて応援した地下アイドルは、キャッチコピーに林檎を使ってたよ。だから俺も、林檎にちなんだプレゼントばっかり貢いでた」
「……りんご?」
「プレゼントって結局は贈る側の自己満足なんだよね。不純か純かの差はあれど、下心なしで贈り物をする人なんていないから」

 もうすっかりプレゼントのことなんてどうでもよくなったナビは、エラーに食い気味で尋ねた。

「ねえ、その地下アイドルってアカリだったりする?」

「え!そうだけど?!ナビ、知ってるの?」
「うん、まあ、ちょっとね」

 エラーにしてみれば、失った初恋のアイドルだ。苦い思い出とは言いたくないが、手軽に引っ張り出す記憶にしては痛々しい。

 しかし、そういった感情の機微みたいなものに疎い相手なので、エラーは逆に吹っ切れるいい機会だなと顔をあげた。

「たくさん写真があるよ。みる?ナビとよく似てるよ」
「いいの?みたい!」

 地下アイドルのパフォーマンスは、撮影可能な場合がある。撮影した可愛い私たちを広めてね、という宣伝が狙いだ。実際ファンが撮影した一枚の写真から爆発的な人気を博した例も少なくない。

 ストレージが最大まで増やされたエラーのスマートフォンには、アイドルごとに分けた写真フォルダがある。薄っぺらいが華やかな衣装を着て踊るアカリの写真は、スクロールを繰り返しても終わらないほど保存されていた。

 瞳が大きな童顔の美少女。腕や脚は折れそうに細い華奢さだが、よく似た顔立ちのナビとは異なり、元気溌剌とした快活な印象を受ける。蠱惑的な夜色の美しさをもつナビよりも、昼のおひさまが似合う雰囲気だ。姉と同じ柔らかな色素で構成されている。

 たまに、アカリの隣でパフォーマンスしているショートヘアの上品な犬みたいな美少女も写っていた。ツインテールのアカリと相性がいい。

「二人組?」
「そう、レムぴとアカリん。俺は顔が好みど真ん中だからアカリん推しだったけど、レムぴのほうが人気だったかも。ほら、これとか天使じゃね?」

 エラーの解説を聞きながら、なるほどと頷く。手を合わせて踊る写真のふたりは息が合っており、レムが容疑者とは考えたくもない。しかしナビは念の為たずねてみた。
 

「二人の仲はファンから見てどうだったの?写真だと、良さそうに見えるけど」

 すると、エラーが​懐かしむよ​うにスマホの画面をなぞる。

「仲良しだよ、アイドル観も統一されてて良いユニットだった。ご覧の通りビジュは強いし、あんなことが起こらなければ今頃────とはやっぱり思っちゃうよね」

 今頃──の後の余白に何が続くのかはナビでも察することができてしまった。

 今頃トップアイドルになっていたか、あるいはスターダムを駆け上る最中だったか。いずれにせよ、地下アイドルとして売れないまま終わることはなかったはずだ。と、熱烈なファンのエラーが信じていることは理解できる。

「あんなことって、アカリが亡くなったこと?」
「そう、自殺だったらしいよ。みんなの前でキラキラしていても、キラキラしか見せられないからこそ心を壊してしまうのかも」

 アカリの自殺。そこに疑問を抱く者は姉ひとりだ。アイドルとして楽しそうに踊るアカリだが、自ら毒を口にしそうな危うさがあったのだろうか。ナビの視線の先にいるアカリは満面の笑みで相方とお揃いのポーズで写真に閉じ込められている。

「たまに、アイドルの甘い部分だけがつがつ齧って、美味しくない部分はペって吐き出して捨ててしまう自分が嫌になる。オタクってお金を払う客であるのをいいことに、アイドルを搾取しちゃうときがある」

 幸福には対価があり、妙な副作用がある。ナビは、不得意ながらも慰めのような言葉をゆっくり選んだ。
 ​

「でも、愛があるんじゃないの」
「そうなんだけどさあ、愛って一方的な押し付けでもあるじゃんか。プレゼントと一緒」

 アカリの写真を一通り見終えた頃、空気が湿っぽくなりかけたのでエラーはスマホを鞄にしまった。

 ナビは本音を言うとカリのもっと深い部分まで掘り下げたかったが、エラーの表情からしてそこを抉るのは憚られる。

 地下鉄の天井を見上げると週刊誌の宣伝広告が提げられており、下品に目を引く見出しとなって様々なゴシップが並んでいた。ちょうどいい話題を見つけたナビは、その中心の特大見出しを読み上げる。

「朝ドラ女優ドク、実は七年前から結婚していた?!」

 ドクという愛称で親しまれる人気女優は麗しい容姿だけでなく演技力も評価されているので、業界を追放されるようなことはないだろう。わざわざ既婚あるいは未婚であることを公言させるのは、一種のハラスメントなのではないかという論争も広がっている。

「しかもデキ婚だってさ」
「こんな若くて綺麗な女優さんが、小学生の子のママってこと?」
「そう考えるとかなりイイねえ」

 ナビは妙な引っ掛かりを覚えつつ、「もうすぐ着きます」とキラにメッセージを送信した。

◾️


「キラーさん」
「なに」
「こちらのお紅茶は毒入りでしょうか」

 マグカップに注がれた紅茶を前にして、ナビは目の前の生産者にまっすぐ尋ねた。

 ナビの隣に座るフワリは「おいし〜」と臆することなく飲み始めている。

「無礼者め」
「キラーさんへの信頼ゆえに尋ねているのです」

 ナビの正面の席に腰を下ろすキラは、薄く形の整った唇の奥で盛大に舌打ちを鳴らした。今日はジャケットを脱いで白いシャツを着ている。
 

「もし毒を盛ったとして、私が正直に答えると思うか?そもそも毒を盛るメリットがないのだが」
「だからこその信頼ですよ。で、実際はどうなんですか。答えられないなら開いていないペットボトルのまま出してください」
「うるさいな、水でも飲んでろ」

 苛立ったキラは天然水のペットボトル(2ℓ)を段ボール箱から取り出しナビの前にどかんと置く。
 
「美少女が毒殺される運命だというのはグリム童話で学びました。ね、フワリさん?」
「ナビくーん、それを私に聞くってどうなの」
「え?だって、美少女の妹さんは毒殺されたでしょ?」
「だからだよ」

 不謹慎に遊んでいると、ピコンとナビの思考が閃いた。

「もしかして、アカリさんのファンが犯人の可能性はないですか?美少女とリンゴと毒、そして歪んだ嫉妬には親和性が高いです」

 人差し指を立てて探偵よろしく推理すると、キラが口を挟んできた。

「その理論でいうなら、同じアイドルのメンバーはどうなの」

 確かに、そのほうが可能性が高い。ナビがフワリに「連絡先はご存知ですか?」と首を傾げると、フワリはウーンと唸って悩ましげに答えた。

「二人組だったから、ユニット自体の活動はアカリが死んでそのまま消滅しちゃったの。でも、元メンバーのSNSくらいなら調べられると思うなあ」

 フワリが検索を始めたので手持ち無沙汰のキラがテレビをつけると、今日はトーク番組が流れていた。

「僕、あんまり物欲がなくて。ファンの方からいただいた物で生活してるってかんじです」

 ゲストはまたもユキだ。主演映画の番宣期間なので今週はどこを見てもユキがいる。

「男はもう、草食どころか断食の時代か」

 長い脚を組んでソファに座るキラが言った。ふと思い出したナビがフワリに尋ねる。

「フワリさんはこういうストイックな男、好きですか?」
「おい、なぜフワリだけに聞く?私もいるが?」
「キラーさんは前に嫌いだって言ってたじゃないですか」
「ふん」

 えー気難しーと思いつつ、ナビは適当にキラを宥める。フワリは少し考えてから「ユキは普通に好きだよお」と返した。

「でも彼が本当にストイックだとは信じられないなあ」
「ユキのなんか信頼が置けないかんじ、わかります。そこが怪しい役にはまるんだろうけど」
「俳優だぞ、自由自在に泣いたり詭弁を語ったりできる職業の人間が信じられるわけないだろ」

 フワリにナビが共鳴すると、キラもうんうん頷いた。テレビを見ながら3人で好き勝手いう。良いバイトだ。

 画面のユキは“ファンからの頂き物のありがたみ”について延々と語っている。胡散臭い笑顔だ。

「このエピソードだって『俺様に貢げよファンども』っていう暗喩に聞こえるわな」
「でも実際、使ってくれるなら優しくなあい?自分の好きなものを買うお金がじゅうぶんあるのに、要らないもの押し付けられても迷惑でしょー」
「こんな売れっ子さんは即廃棄だろう。何入ってるか分からなくて危ないし」

 キラとフワリが話しているのを聞きながら、ナビは妙な違和感を覚えていた。気の所為ならいいけど。

 ぼーっとしていたナビに、キラが話をふる。

「そいえば、ナビってあの蝶のピアスどうした?」
「箱のまま家に置いてあります」

 使うほどお人好しにはなれないが、すぐに捨てるほど冷徹にもなりきれない。ナビは部屋の机の上に放置され続けている小箱を思い出していた。
 
 するとナビの中で新たな薄い可能性が発見された。

「アカリも、ファンからプレゼントを貰っていたはずですよね」
「よく受け取ってたよ〜、妹の部屋で大切に飾られてた」
「そのプレゼントの中に毒が入っていた可能性は?ほら、厳しい検査がなされず持ち帰ってしまって、青酸カリを入りの物を口に運んだのではないかと」

 「怖いこと言うねえ」と怯えたフワリは「まあ、会えたらレムぴに聞いてみよ」と幕を閉じた。「だな」とキラが賛同する。

 でも、ナビはまだ納得できずにもやもやを抱えたままだ。

「アカリが貰ったプレゼントの中にファンが盗聴器を仕込んでいた可能性は?そこでアカリの私生活を盗聴してた、とか」
「私生活?」
「そこで内緒の恋人との密会なんかを盗聴してしまい、狂ったオタクがアカリを殺した可能性を示唆しています」

 ナビが明確に言葉にするとフワリはゆるゆる首を振り、ナビの目を見て言った。

「ううん、アカリの部屋には盗聴器なんて無かったよ。それくらいは調べたし、あったら警察が動いてる」


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