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タシロのこと

古着屋さんで働いていた時代、私にはタシロという友達がいた。
歳はタシロの方が一回り上だったけど、そんなの関係なく私たちはとてもよく遊んだ。

私たちはあの頃の派手な古着屋店員らしく、とても派手な髪色をしていた。
紫とピンクのドリーミーなツインテールの私と、ベリーショートヘアをベビーピンクに染めていたタシロは二人とも60年代のレトロファッションが好きで、一緒にいるととてもよく目立っていたと思う。

タシロはショートホープを吸っていた。タシロは睡眠薬を飲みすぎて仕事に来ない時があった。でもちゃんと謝って仕事をしていた。タシロはうどんしか好んで食べなかった。決まって素うどんにネギをたくさん入れた。タシロはとても痩せていた。タシロは精神病院の閉鎖病棟に入っていたとこともなげに言っていた。タシロはカフェイン錠剤を飲んで手が震えていた。タシロは眉にピアスを開けていた。タシロはトカゲのタトゥーを入れていた。タシロの結婚式で絵を描いた。

私はタシロのことが好きだったから、タシロのいろんなことを覚えている。
一緒にちっちゃな動物園に行って、ウォンバットを見た。カピバラも撫でたね。竹ぼうきみたいだって笑ったよね。

タシロは結婚して、宮城県に行くことになった。私たちはまだガラケーで、メールアドレスくらいしかわからなかったけどたまにメールをしたと思う。

そんな日々が続いた一年後くらいに、手紙が届いた。
タシロの字だってわかった。
内容にはこう書いてあった。

昔からとても死にたかったけど、今が一番死にたくて、もしかしたら手紙が届いている頃にはこの世にいないかもしれない。衝動的にそういうことをやってしまうなりになんとか生きてきたけど、最後にがんもちゃんが好きだった曲のCDを焼いて送るね。これでいつでも聞いてね。

そう書いてあって、私がタシロのCDの中で一番気に入っていたCDをダビングしたものが同封してあった。
差出人の住所はなく、メールアドレスは使えなくなっていた。

これが私とタシロのお別れ。
タシロが今も生きているととても嬉しいけど、もし生きていないとしても私はタシロのことを鮮明に思い出せるのだ。だから死んでいない。

大好きだった友達へ、私はまだ大好き。



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