見出し画像

音の向こうにいるあなたへ〜自分について〜

 こんにちは😋 久しぶりにnoteを書きます。テレワークも終わり、普段の日常が戻ってバタバタな毎日が始まりました。

 文章を書くことからも少し離れてしまっていたので、今日はリハビリがてら、自分のことについて書きたいと思います笑。

 私のnoteは、「ブラックミュージックの魅力」をみんなとシェアするためのものなので、基本的には自分自身についてはあまり書かないつもりだったのですが、「コイツはこういう感性で音楽を聞いているのだな」「こういう感性で生きているのだな」と知ってもらうのもいいかなあと思いまして、少しだけお付き合いしてもらえると嬉しいです。

 では、始めます。

 私は和歌山県の有田市というすごくすごく田舎(いわゆるど田舎笑)に生まれました。両親が教員で共働きだったため、みかん農家をしているじいちゃんとばあちゃんにも非常にお世話になりました。保育所のお迎えをしてもらい、母親が帰宅するまでは、祖父母の家で面倒を見てもらう、そういった幼少期を過ごしてきました。

 両親が寝る前にしてくれた読み聞かせや、祖父母の家の大量の漫画、休みの日には(母親が家事したいので笑)図書館に1日放り込まれる、本はなんでも買ってくれるという環境に囲まれ、本好き、空想好きの、おませでおしゃべりで少し生意気な女の子に成長しました笑。

 音楽も大好きで、安室奈美恵の真似をして歌ったり踊ったり「将来は歌手になる」とよく話していました。

画像6

 小学校高学年になると、毎週自分で自転車を漕いで、近くのTSUTAYAまで行き、DVDやCDを借りて、一人で鑑賞するようになりました。図書館にも自転車で行くようになり、音楽と本にいつも囲まれている生活を送っていました。明るい作品はあまり好まず、暗くて陰鬱なものをよく見ていた気がします。中学生もそんな感じで過ごし、なんだかこういうものに関わる仕事がしたい気がするとなんとなく思い始めたのもこれくらいです。

 こういう仕事をするには都会にいかないとだめだなあ。でもうちの両親の性格を考えると、大学進学の進路以外は許してくれなさそうだ。さらに偏差値のあまり高くないところは、お金を出してくれないやろうなあ。と考え、高校は勉強をせねば都会に行けぬ!と県下で一番の進学校に進むことに決めました。

 高校に入学したはいいものの、なかなか思うような成績が取れず、また同級生たちはいいところのお坊ちゃんやお嬢さんも多く、花より男子の牧野つくし状態になってしまいました笑。校則もかなりブラックで正直高校時代はかなりしんどかったのですが、そんな中で出会ったのがブラックミュージックです。同じクラスの男子が教えてくれたクリスブラウンを筆頭に、まだ出始めだったyoutubeでいろいろな音楽を聴きあさりました。また当時は「ワッツアップ?」というブラックミュージックのコンピレーションアルバムがあり、それをTSUTAYAで借りては大事に聴き、関連のアーティストを調べ、なんだか私こういう音楽が好きかもしれないとの自覚が芽生えたのもこの頃。勉強がしんどい時、勉強がしんどい時、勉強がしんどい時、笑、いつも寄り添ってくれたのは音楽でした。

画像1

 

 地獄の高校卒業後、必死のパッチで勉強を頑張ったこともあり、なんとか大阪の大学に合格することができました。同級生たちからすれば、本当に大したことのない大学でしたが、私は都会に行けるだけで大満足。この頃には何か自分を表現することがしたいと思いはじめ、ダンスを始めました。そんなに上手というわけでもなかったけど、自分の頭の中のイメージが形になるのが楽しくて、授業はそっちのけでダンスや音楽に関することばかりしていました。クラブでアルバイトをして、人に知られたら怒られるようなこともたくさんして、いろんなことを学んで、ますます音楽の虜に笑。と同時に、だんだん浮世離れも進み、なんだか同じ学科の子たちとはキャラが違うぞ?となってきて、無事就活も乗り遅れました笑。(高校時代めちゃめちゃ勉強してたのはそのためでは?笑)その時はあまり就職活動に本腰を入れる気にならず、しかももう少しストリートにいたいという気持ちがあったので、就職もそこそこに、大阪でぼちぼちとダンスをしようかなあと考えていました。

画像2

 ところがどっこい。心配した両親に無理やり地元に引き戻され、中学校の国語の講師として働くことに。でもやっぱり音楽からは離れられず、りさちゃんというとても仲の良い友達と一緒にいろんなところで踊ったり、遊んだり、仕事の合間を抜ってかなりの行動量笑。

画像3

 和歌山の現場も楽しかったけれど、私のクラブの原体験は大阪のシーンだったので、やっぱりどうしても大阪に帰りたくなり、親の反対を押し切って大阪で就職することに決めました。大阪では憧れの先生のダンスのレッスンに通ったり、クラブに行ったりいろいろと忙しく、ミナミ、泉州、和歌山と落ち着きなく動いて、常に微妙に寝不足です笑。

画像4

 その頃、地元和歌山でレゲエのサウンドをやっている友達と出会い、久しぶりにレゲエに触れます(実は私がアルバイトをしていたクラブはサウンドマンが店長で、そのつながりでたくさんのレゲエのイベントが開催されていたので、ある程度馴染みはあったのです)。久しぶりにサウンドのプレイを聴いて、「おや?この人たちはヒップホップのDJよりも、もっと歌詞の内容に言及しているぞ? なんかDJのプレイ聴いてるよりもカユいところに手がとどく感覚!」と、ふと大学時代のことを思い出しました。

画像5


 大学時代、「学校に寝に来ているのか」レベルで、授業中は寝ていた私。そんな私が籍を置いていたのは文学部国文学科でした。子守唄代わりに聴いていた講義では、作品を通して、作者の人生観や人となりを探る話を延々と教授がしています。当時の時代背景も念入りに調べ、その中で作品の意図を探っていくというのが、文学部の授業のメインでした。睡眠学習でそんな作品の味わい方を覚えた私は、自然と音楽を聴くときにもそういった聴き方で聴くように。でも周りの人たちはそんな聴き方してないしなあ。こんなこと言っても理解されないから「自分だけの楽しみ方」にしておこ。


 の「自分だけの楽しみ方」をしている人たちがレゲエの現場にはわんさかいました。なんだか自分と同じ感覚の人たちにあえてすごく嬉しい。レゲエの音楽もかっこいい。そんなに知識はまだないけどレゲエも好きだわ。って思えるようになりました。

 同じ頃、音楽の現場に出入りしつつも、本業の方でも「ことば」に関わることは続けていました。しかし大学での勉強不足が祟り、なかなかうまく授業ができず、勉強のために美術館に通うように。私は美術も好きで、小さい頃もよく画集を眺めたり、博物館に連れて行ってもらったりしていたので、その頃のことを思い出しました。

 美術館でもやっぱり、気になるのは、美術作品を通して感じる「作者のものの捉え方」「作者の人生観」。そこで始めて「自分は芸術全般を通して、『人』を感じたい」という自らの欲求に気づきます。「あの時期の作品はやっぱり暗いな。」「あの時期の作品に出てくる女性はきっと奥さんだな。」あれこれ思いを巡らせながら、展示を眺めることは、彼らの人生を追体験しているような気持ちにさせてくれます。 

 日常生活でも、誰かのふとした仕草、ふとした言葉に、その人の考え方や、生きてきた人生を感じることがあり、そういう時に、心が震えることがあります。なんでもない「フツーの人」の「フツーの人生」だけど、それぞれにいろいろあって、そのいろいろを乗り越えた上で、今「フツーに生活」している。そんな事実がすごくすごくいとおしく思えて、相手を大切にしたい、ギュッと抱きしめたい気持ちがこみ上げてきます。

 私は思春期の大切な時期を、音楽(特にブラックミュージック)に支えてもらったので、アーティストの人となりや人生観を伝えることを通じて、いろんな人と音楽の魅力をシェアできたらいいなと思っています。最近は少し書くことから遠ざかっていたけれど、またぼちぼち始めていかないとね。

 自分のことを説明するのは、すごく恥ずかしいのですが、読んでもらってありがとうございました😸 次からは普通に音楽のこと、ストリートのことについて書いていきたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?