我が道を行くことにストレスはあるのかという話

嬉しかったこと。シェアハウスの相部屋(ルーミー)に住んでいる、中国人からの留学生で、2ヶ月ほど一緒に暮らしている子から今日、「私はあなたを尊敬してるの」と言ってもらった。

今は27歳、大学生を卒業した数年後に専門学校へ入ってテキスタイルを勉強している私。その生き様が良いと言ってくれて、苦労を分かってくれたことに泣きそうになってしまった。

注目するのは、年齢。こんな人生を歩んでいる私のストレスは多方面にあって、これは体験しないとわからないものだった。バリバリ仕事をしている他のシェアメイトが視界に入ってしまう生活をしている中で、「私はまだ学生で、こんなんで良いんだろうか。社会に何も貢献してない。」と感じること。同じ年齢の同級生たちは"社会人6年目"とかになってる。年下もめっちゃ仕事してるし、仕事で着実にスキルを身につけてる。

そして結婚、出産も、確実に適齢を迎えている。ていうか女性には制約が多すぎる、出産なんて命懸けのイベントがあると考えると、その前後少なくとも1年は距離とか仕事とか大きな決め事とかできなくないか。出産からの回復や子供の発育とかを考えると、年齢が上がってくることのリスクでかいな、若いほどええやんと焦りを覚え始めた。でも自分のしたい仕事やキャリアを考えると、器用じゃないのでそっちに注力できるのはまだ数年先で、、とか、ここ数年で現実味を持って考えるようになった。

そして親の将来もそろそろちらつく。両親の足腰が強いうちに、行きたいと言っていた場所へ連れて行きたいな、そのためには稼がないとな、早くしなきゃな、もしかして今勉強なんてしてる場合じゃないんじゃないか?と思ってくる。そんなストレスを抱えながら生きてる。

最近、自分はこの歳になっても(両親に金銭的な援助をしていただきながら)勉強させてもらえるという特権を持った人間であると認識し始めた。両親への感謝は今しきれず、定期的に帰省して顔を見せることだけ心がけてる。

ストレスに囲まれた状態で、それでも私の生きる道はこれだと思うから、横を向いてしまう顔を逐一、真っ直ぐに戻しながら歩みを進める。ルーミーの子も同様に、同世代との比較などのストレスは抗えないものとして抱えたまま、それでも自分の道を行くその歩みを止めない。英語と日本語で、互いの意味を取りこぼしつつも励まし合った昼下がり、シェアハウスのリビングだった。

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