野次馬の恐怖

久しぶりの投稿になります。
端的にお伝えすると、静養していました。

タイトルに関して。皆さん、近くで何か事件や事故が起こるとつい見にいっちゃいますよね。
私もそういうタイプの人間だったのですが、今は無理です。

理由としては、家族が亡くなりました。事故で。川に落ちて。
夜だったこと、雨が降っていたこと、そのせいで川の水位があがっていたことなど悪条件が重なり、落ちた所を目撃されてるし、警察官もすぐ近くにいたのに見つけきれず。

私が連絡を受け、現場に到着したのは事故発生から40分後でした。
もしかしたらまだ助かる可能性があるかもしれない。
もしかしたらどこかで自力で這い上がったけど動けていないのかもしれない。
考えられる限りの生きている可能性を信じて捜索しました。

もちろん、現場には警察の方やレスキューの方に捜索していただきました。
その間、パニックになっている両親を落ち着かせ、警察の方に事故があった時状況説明を何度も行い、その間も少しでも早く見つけて、命だけでも助かってほしいと願いながら。
気持ちとは裏腹に捜索は難航し、一旦打ち切られることに。
結局見つかったのは、日付も変わった後でした。

この見つかるまでの間。川辺にはたくさんの野次馬。
最初はこんなに目が沢山あるならきっと誰かが見つけ出してくれるはずなんて肯定的な気持ちにはなりました。でも、違いました。

談笑しながら様子をうかがう人々。自分が関係者だということを知り、私の動きをずっと観察する人、子供を連れてきて一緒に見学する人。
もし、発見されたとして、それを子供に見せる事で、どんな影響があるかもわからない。トラウマになるかもしれないのに、呑気に構える人たち。
中には私に声をかけてきて「家族が落ちたんですか?何があったんですか?」って聞いてくる人々もいました。それも笑いながら。

怒りと同時に恐怖を覚えました。

もし、貴方が事故の関係者なら心穏やかに話せますか?
同じ状況に立った時、どんな心境で好奇の目を向ける人々に相対すればいいのでしょうか。
自分が取った対応は「無視」でした。
そうじゃなかったらその間を殴り飛ばしそうだったから。
そうじゃなかったら心が壊れそうだったから。

そんな「無視」する私に対して「つまんねぇな」って更に追い打ちをかける。
今でもあの好奇の目は忘れません。トラウマに近いです。いや、もうトラウマです。

事故現場が見たいのはわかります。
でも、現場にあるものは必ずしも良い物ではありません。人の不幸を見たいと考えていくなら止めはしませんが、関係者に対してはそっとしておいてください。

事故後、家族の葬儀を終え、
職場復帰した際に「迷惑をかけました。すみませんでした。」と同僚に謝ったら、「本当に迷惑でした。」と真顔で言われたのが決め手になり、
心を病んでしまい、仕事が出来なくなりました。
職場の入り口に行くまでに嘔吐を繰り返し、デスクについてからも嘔吐。
その同僚からは舌打ちをされる始末。
優しさが欲しかったわけではないのですが、その当時の私には傷口に塩を塗られてるようなものでした。
その職場をやめ、転職し、復帰するのに1年かかりました。
でもまだ人間不信が心の奥にあり、人と会話するのを恐怖に感じることがあります。お客さんに怖さを感じる事もあります。
でも、生きるために。仕事はしないと生きていけないから。

完治はしてないと思います。でも、傷を隠して笑えるようにはなったので、これから少しづつ回復するように。

好奇心からの野次馬は、時として凶器にもなります。
重ねますが、お願いですから。関係者はそっとしておいてください。

それと、覚えておいてください。

その目がどんな影響を与えるのか。

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