ラフ族の村への訪問 ③ ~手紙~


『ラフ族の村 2日目』 ~手紙~
 
ラフ族はみんな朝が早いようです。 5時ぐらいにはみんな起きるようです。 僕らはみんな早起きには慣れていないので、村人たちが起きても7時ぐらいまでは寝かしてもらおうと思い寝袋にくるまりながらゴロゴロしていました。しかし一度目が覚めたらもう再び眠ることはできませんでした。鶏の鳴き声がものすごくうるさいのです。村ではかなりたくさんの鶏が放し飼いにされています。その鶏が朝になると一斉に鳴き出すのです。これも遠くで泣いてるようななら無視できるのかもしれません。しかし僕らの泊まっている家は高床式になっているため鶏は家の下に潜り込んできて、けたたましい声で鳴くのです。自分が寝ている真下で囁かれてはもう眠ることはできませんでした。

朝食後、 学生達は“家屋の調査”のためそれぞれ村のあちこちらに入って行きました。 彼らは約2日の間に村のすべての建物~倉庫やトイレも含めて~を測量しそれをスケッチしなければいけないようなのです。彼らは昨日もその作業を日が暮れてもう何も見えないと言う時間帯までおこなっていました。とても遊んでいるような時間はないようです。

僕と上奈路さんはと言うと何もすることがないのでとりあえず村の学校行ってみました。ちょっとした高台にある学校行くと、ほぼ村が一面に見渡せます。やや遠くにある家を数えてもラフ族の村には15件ぐらいしか家がありません。本当に小さな社会です。学校はトタン屋根の下に机と椅子があるというような簡単な作りのものでした。学年もクラスも区別はないのでしょうか。“本当にこんなところで勉強してるのだろうか?”と思いましたが、その時は夏休み中だったため残念ながら授業風景を見ることができませんでした。

学校の椅子に座り村を見下ろしていると子供達が僕らに気づいたのでしょうか。何人かの子供がやってきました。5歳~7歳の女の子が4人ぐらい、男の子が3人ぐらいでした。しかし子供達はせっかく僕らのところへ集まってくれたのは良いのですが、何をして遊んであげたらいいのかわからないのです。ボール遊びをするにしては彼らの彼らは幼すぎますし。「折り紙をやろう!」突然、上奈路さんが言うと、折り紙を取りに走って行きました。なるほど女の子が多いしこのメンバーでは一番いい遊びのように思いました。

折り紙では“鶴”や“やっこさん”を折ってみました。僕はもう折り方を忘れてしまっていたので、上奈路さんに教わりながら折ってみました。子供達は不思議そうに僕らの作る鶴を見ていました。折った鶴を子供達にあげると大事そうに手のひらの上に乗せて、いつまでも眺めていました。男の子には手裏剣を作ってあげました そして“こういう風に飛ばすんだよ”と言って手裏剣を投げて見せると、みんな僕の真似をして手裏剣投げが始まりました。折り紙は結構評判良かったようでした

午後は三輪さんを先頭にして子供達と滝へ行きました。歩いて30分~40分ほどのところにある小さな滝なのですが、途中から道がなくなり川の中をジャブジャブと入っていかなければいけません。かなりきつい散歩になりました。上奈路さんはビーチサンダルを脱いで裸足で川を上っていたのですが、しょっちゅうヨロけていました。子供達にとっては危なっかしくて見ていられなかったようです。女の子二人が上奈路さんの手を掴んで助けてあげていました。

滝から帰ってきた後は少し休んでからボール遊びをしました。僕たちは朝から子供達と遊んでいたためかなり疲れていたのですが、村に来る前に子供たちは“子供たちとめいっぱい遊ぼう”と決めていたので体にムチを打って遊ぶことにしました。それに、この頃になると子供達は完全に僕らになついてしまって、子供達の方から“遊ぼうよ”というふうに来てくれるようになっていました。この時も滝から帰って疲れて家の中で横になっていたら、家の入り口辺りに子供達が集まって来たのです。そして寝っ転がっている僕らに“何やってんの外に出て遊ぼうよ”という目をして家の中を覗いているのです。僕らは外に出ざるをえませんでした。

ボール投げは実に単純な方法で遊びました。この時も5歳~7歳ぐらいの小さな子が中心だったので、彼らは幼く満足にキャッチボールができません。それなので僕と上奈路さんが“彼らにボールを投げ、彼らはそのボールを取りっこをする”という具合にして行いました。僕がワンバウンドで取りやすいようにボールを投げると、子供達は「キャー」(女の子がかなり混じっていた)という声を上げてボールに向かいます。幼い子供達はなかなかうまくボールをキャッチできないためボールの奪い合いになります。僕らは一応全員がボールを取ることができるように、“今回はあの子へ、次はあの子へ”という風に投げる方向コントロールしてあげていました。とても単純な遊びなのですが子供達はとてもはしゃいで楽しそうにボール追っていました。40分~50分後の遊びは続けていたのでしょうか。僕らも疲れてきたのですが子供達は一向に飽きる様子がなく、僕らの投げるボールを目をキラキラさせながら待っています。次第に僕らの周りには10~13人ぐらいの今遊んでる子供達よりちょっと大きな子供達がギャラリーとして集まってきました。

今度は彼らも含めて彼らのルールに従ったボール遊びはしました。彼らのルールは、外側のグループと内側のグループに分け、ボールを取り合うというものでした。ボールを当てるこのことのないドッジボールのようなものでした。この遊びも日が暮れるまでやっていました。夕飯食べた後にちょっと家の外へ出てみると、また子供達が集まってきていました。
それぞれが自分の家で食事を済ませ、また集まってきていたのです。外はもうすでに真っ暗で街灯などというものはないラフ族の村では、目が慣れないとちょっと離れたところにいる子供たちなどが 顔が判断できませんでした。

子供たちと一緒に星空を眺めながら外で涼んでいると、子供達は「一緒に遊ぼう!」と日本語で言って、僕と上奈路さんの手を引っ張り出しました。どこでその言葉を教わったのでしょうか。およそ全く日本語を知らない彼らには、おそらく三輪さんに教えてもらったのでしょう。そこまでして僕らを慕ってくれる彼らに感激して、「よーし!」と言って彼らに手を引っ張られながら外へ出ていきました。

真っ暗の中で何をして遊ぶのかと思っていると、どうも子供達は“鬼ごっこやろう”と言っているようです。家の前にはちょっとした広場がありその平坦な狭い範囲での鬼ごっこなのですが、何せ真っ暗なものですからそれだけで十分に楽しめてしまうのです。僕らは十数人の大人数で鬼ごっこやりました。もうみんな大はしゃぎでした。

静かな村の中で僕らの騒ぎ声がとにかくうるさかったようです。 子供達があまりはしゃぐので、“うるさい!”というようなラフ語の言葉はどこからが聞こえてきました。その時点で鬼ごっこは中止したのですが。もうみんな十分に楽しんで後だったので満足して家の方へ戻っていきました。夜の鬼ごっこというのはなかなか刺激的でした。暗い中でうすぼんやりしか相手が見えませんが、一応顔の判断がつきます。 子供達は夜にみんなで遊ぶということはあまりないのでしょう。何が子供達にも心ワクワクするところがあったようです。

鬼ごっこの後も子供達は家の外に集まっていました。時間はもう夜の9時を回っていました。村ではかなり遅い時間帯なのでしょう。子供たちの親達が子供たちを迎えに来ました。 

子供達は「もうちょっとで帰るから!」とでも言っているのでしょうか。家へは帰らずにいました。家の外には三輪さんが出てきて彼らと話を始めました。すると大学生に大学生も何人か外へ出てきて子供達と、美輪さんの通訳を通じて話し始めました。大学生にとっても村の子どもたちと仲良くなってやりたかったのでしょうか。なにぶん研究の方が忙しく、やっと今回そのチャンスをつかんだようなのです。そして三輪さんが村の子供達に何か歌を聞かせてくれと言うと、12歳くらいの女の子4人組が少し照れながら、いくつかの歌を聞かせてくれました。 大学生たちは静かにそしてうっとりしたように彼の彼女たちの歌に聞き入っていました


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