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ゲーム理論的に

大学院の雑多note vol.2

今日の授業はゲーム理論でした。
学生の作ったゲームケースを大量に浴びる回だったのですが、思ったことなど。

〇個人の利得と全体の利得が相反することがしばしば起きる

合理的に(not利己的に)考えると、全体の利得が最大ではなくても自分にとって都合の良い選択をしてしまうことが往々に起こりうる。

それは個人が自己中心的なのではなくて、あくまでも個人目線で考えた時には仕方のないことなではないだろうか。

〇全体価値の最大化

例えば家庭内、子育てであれば、「家族」「親子」の利得が最大化するように考えるというのも一つの手(主に大人が(笑))
子どもは間違いなく自分自身の利得しか考えられないし、そっちの方が健全(家庭全体の利得最大化のために自分個人の利得を犠牲にする子どもは不健康だと思う)。
とすると、大人が自分自身の利得をやや犠牲にしつつ、家族全体の効用を最大化することが望ましい(と理想論を書いてみる)。


〇価値と確率の見積もりの大切さ

それにあたり大切なのは、自分の行動が相手に対して生む価値の見積もりかなと思います。
ゲーム理論的にはいろんな行動は自分と相手の行動コストと発生する価値のバランスに基づいて決定されるわけですが、往々にして「自分が思っているより相手にとってコストが重い」とか「自分が思ってるより相手にとって利得が大きい」ことがあるわけです。
(親が思ってるより宿題が苦痛、とか)

あるいは「これくらいならいけるだろう」と思っていたが、いけない確率が割とある。
(ちょっとのいたずらなら怒られないだろうと思っていたら、割とな確率で怒られた、とか)

このあたりの見積もりの精度を上げるためには、日々お互いによく観察、コミュニケーション、検証が重要です。
(つまり相手をよく見て話して確認しろと)

頑張って丁寧にコミュニケーションしようねという、身も蓋もない結論でした。

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