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第74_劇薬による経済成長

 小池の継続が確定したことは、統合型リゾート(IR)の推進が確定したということである。外国人観光客を呼び込むための成長戦略だと語る自民党に世論の非難は勢いを増すが、小池の継続により、野党の散々な対応も制止ができない状況に陥った。

 野党は、統合型リゾート設備推進法、通称カジノ法にギャンブル依存症対策の条項を盛り込むことで強制的に採択を容認し、民進党の議員はこれに対し「よくこんなでかい二つを盛り込んでくれた」とコメントを発表し自民党を評価していたが、果たして本当にこれでよいのだろうか。
 
 この議論の中心は、人を依存状態に陥らせ、判断能力を無化してしまう劇薬によってしか経済的な成長を描けない国になっても良いのか、ということではないのか。
 
 それなのに、国会全体が「依存者が出ても何らかの対策をすれば良い」と考えていること自体、日本の運営を放棄しているとしか思えない。そもそも、この国は人口の500万人がギャンブル依存症だと言われている。巷には、パチンコ・スロット、競馬などのギャンブルの広告が溢れ、明るくて楽しいイメージが演出されている裏側で、何百万人もの患者とその家族が泣いているのである。

 私の学生時代の友人も、父がギャンブルで作った多額の借金を残して蒸発した子がいた。どこで何をしているのか。生きているのかもわからないと言っていた。母も姉も、みんなそのことを負い目に感じながら生活してきた。父を恨んだ時期がしばらく続いたが、ある時彼は依存症について学ぶ機会をえた。人が心を惹かれるものに感動する時の感覚を知った時、初めは純粋にギャンブルを楽しんでいたであろう父の浮かんだそうだ。嫌悪よりもむしろ、社会に用意された落とし穴が放置されていることの問題を感じるようになった。

 いつからか社会は、落とし穴へ落ちていった人に対し「自己責任」を言い立てて、見捨てるようになった。落ちた人は恥ずかしさで声を上げられなくなった。それは本当に優しい社会と言えるのだろうか。誰かが依存症になることが予定され、放置されていて、その対策を法律に盛り込んでまでカジノを建設しようとする社会が、優しい社会だとは思わない。

 IR議連の議員は、毎日新聞の取材に対してこのように回答をしている。

カジノ解禁に合わせて包括的な依存症対策を行う機関を創設し、カジノの税収から対策費を捻出すれば良い

 人の人生を何だと思っているのか。経済の論理だけで大きく風呂敷を広げ、それに対して誰も本当の意味で責任を取らない社会の体質だけが、浮き彫りになっている。

 
 

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