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第77_部活が好きな人のために思うこと

 夏に入るこの時期になると、近年盛んに取り上げられている「部活問題」に対して、「そんな正しいことを言っても実務は、」と思いそうになる。灼熱の下開催される夏の甲子園も問題視されているが、同じく部活動も危惧されている。そんななか読んだとある教師たちの対談書では、「部活動が好きで、今後も続けていきたい人たちにこそ夏の問題に耳を傾けて欲しい」、「部活動を全て無くせばいいと全く思っていない」という多くの生徒の情熱を汲み取る形で始められた議論は、実に建設的であった。

 参加者の一人である教員が将来教員になったら部活動を指導しよう、と決めていたのには、理由があった。中学生のころ、彼はある種目に熱中した。同じスポーツを通して、無二の親友もできた。その親友は同学年でひときわ目立つ存在で、地区大会、県大会、関東大会と進むうち、保護者や地域の期待を背負うようになった。もしかするとその期待を背負ったのは本人のほか、顧問かも知れず、指導は過酷を極めた。

 ある夏、部活動の時間に事故が起きた。スター選手だった彼が突然倒れ、呼吸が荒くなった。だが以前も彼は少しの休憩を挟んで回復したため、顧問は端で休むように指示し、練習は続行された。結局、この判断が災いして、彼は長期の入院を余儀なくされた。幸にして生命までは取られなかったが、選手としてはおろか、日常生活にも支障がでてしまった。

 その時のことを思うと、彼は誰に対してどんな感情をぶつければよいかわからなくなったという。

 部活動の事故には、顧問が指導を逸脱した犯罪的な暴行を加えるなどの例もあり、それは到底許されない行為である。しかし多くの場合、教員は熱心にそのスポーツの指導法と向き合い、時には競技の素人として恥を忍んで勉強会にも参加する。事故を起こした顧問も、分厚い教本に付箋がいくつもついていたという。

 彼は自分が教員になったら、もう一度部活動の現場に立ち、あの時の指導の答え合わせをしようと考えていた。夢を途中で諦め競技場を去らなければならない生徒がいない、安全な指導法を目指した。幸い、学生だった時よりもうさぎ跳びやタイヤ走のような「迷信」は廃れ、スポーツ科学に基づいた指導が根付いていた。しかしその代わりに、教員の長期労働化、非正規雇用教員の増加など、教員をめぐる環境が激変し、それでも部活動の成績が地域で一定の権威を持ち続ける時代になった。勝ち続け、貪欲になることで見失う冷静さはあるように思う。教員は誰しもこのまま部活動が持続可能だとは考えていない。が、その現状を変える労力は現場に投資し、疲弊しきっている。

 誰かが悪者というわかりやすい構図ではなく、すべての人が頑張っていながら悲劇を起こしかねないという意味において、部活動の危険な面についての理解が進めばいい。

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