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第64_無菌状態は健全ではない

子どもの頃、葡萄のぷりぷりとした小粒の実をいくつもほおばっては、もぐもぐと動かして実と種を取り分けた。甘酸っぱさが広がり爽やかな気分になりながら、空に向かってピッピッとザラついた種を飛ばす。あの開放感は、そういえば最近はほとんど味わっていない。品種改良が進んだせいもあろう。そればかりではない。サッシの窓や衛生管理といった「近代的な暮らし」には、種を飛ばすの空間はなくなった。

 何もかもが整備され管理され、無駄が省かれる社会が良しとされて久しい。深く考えるほどのことではないから、多くの人たちが流されてきた。けれど、ふと気がつくと、子どもたちは地べたにしゃがみ、ボロ・スタイルにブス化粧。恥はといえば「自由じゃん」に塗り替える。親たちは我が子でも感情のままに殴って「躾だ」と主張し、幼児を高温の車内に閉じ込めた事も忘れて冷房の部屋でパチンコや漫画に興じる。

 社会は狂っている・・・のだが、そうした事態に最も憂えているのは、実は、子ども自身でもある。たとえば、広島原爆の日には子どもたちの提言や積極的な行動が目立った。中学・高校生が創った「世界の子どもたちの平和像」が除幕され、「被爆者の話を聞いて恐かった」「戦争は子どもの笑顔も夢をも潰してしまう」などのたくさんの声が上がった。そして式典では「人々のたくましさをもっと深く学び、語り継ぎ、伝え続けていきます」と、小学生の代表が平和を誓った。長崎でも中学生による反核の発信が行われている。

 子どもの受難の世紀にしないために、半世紀以上も前に立ち返って、あの頃の感性を思い起こしたい。

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