見出し画像

第76_戸籍のない日本人たち

 学生時代に購入した雑誌に目を奪われる記事があった。記事は、「戸籍のない日本人たち」のタイトルで、相当にどぎついものだ。

 私の母も本文で触れられている民法七七二条(摘出推定の規定)に苦しめられてきたひとりだった。とはいえ具体的に聞いたことはないのだが、どうも母の父親、つまり私の本当の祖父が、当時の日本ではあまり受け入れられない種類の人だったらしい。本当の祖父、と書いたのは、その後すぐに離婚をするからだ。「あいの子」と呼ばれ、どこの戸籍にも入れずに漂いながら、とうとう成人と同時に故郷から逃げるように上京してしまった。

 日常生活において滅多に使うことのない戸籍に、わたしたちは別段なんの感情も持たない。しかしそれは、マジョリティゆえの無意識である。あるべきものが欠けて生まれてきた人間は、どれほどその空白を意識しながら生きることになるのか。ましてそれが、国家から個人として認められる文書だとしたら、その空白は計り知れない。

 無戸籍の問題を考えて新聞のアーカイブを読んでいると、毎日新聞のある記事に吸い寄せられる。夫からのDVが原因で娘の戸籍を三三年間届け出なかった母親に対し、五万円の罰金が科せられたという。何をしていたのか、と思うだろう。しかし、この女性は離婚に至るまでに同じ歳月を費やしている。つまり、正式な離婚が決定した上で、娘の無戸籍を清算したことになる。

 いかなる理由があれ、子どもの戸籍を奪う理由にはならない。しかし、無機質な行政文書のむこうには、必ず壮絶な環境のなかで悶えて叫ぶ人の姿がある。母にとっても娘にとっても、人生の大部分を削ぎ落とされてたどり着いた着地点が、罰金五万円。金額の多寡ではなく、そこに罰則を与えてまで制度の体制を保とうとする態度に、井戸さえ氏の論文に出てくる「『父』は国が決める」の傲慢さをみた。国はその人が誰かしらの子どもでありさえすれば良いのかもしれないが、当人は決してそう思っていない。

 本来、司法は弱者を救済するべきものであるはずだ。「社会問題の集積」(井戸氏論文)であるにもかかわらず、その抜本的解決がされないままに涙を流す人があまりに多い。前述の毎日新聞報道によれば、当時の時点で「無戸籍の人は六六五人いて実際はそれ以上」であり、井戸氏ご自身の経験則から言えば一万人にも達するという。

 どちらの数字が正しいとか、間違っているという議論は避けたい。この数字は、仮に一人だったとしても、あってはならない数字なのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?