使用価値と交換価値

資本主義経済以前の自然経済の下で生産された労働生産物は、人間のなんらかの欲望をみたす有用な性質、すなわち使用価値だけを有するにすぎない。しかし、労働生産物が商品となると、使用価値の性質が変化」するばかりでなしに、あらたに交換価値(価値)という要因も加わる。

(1) 商品の第一の要因としての使用価値
商品は、労働生産物と同様に使用価値を持たなければならない。この使用価値は肉体的なものであれ精神的なものであれ人間のなんらかの欲望を満たすものである。

また商品とは、自己消費のために商品を生産するのではなく、他人=消費者に販売するために商品を生産する。そういった意味で、商品の使用価値とは「他人とって有用な性質」を持つということがいえるし、これを満たさなければ商品にはならないのである。つまり商品の使用価値とは、商品の生産者にとっての使用価値ではなく、その購買者=消費者にとっての使用価値すなわち「他人とっての使用価値」なのである。

(2) 商品の第二の要因としての交換価値
商品は、第二に、種類の異なるその他の商品と交換される性質をもっている。このような種類の異なる他の商品と交換される性質を交換価値という。

この商品の交換価値は、さしあたりその商品が異なった種類の使用価値を持つその他の商品と交換される量的比率として現れる。商品の交換価値は、需要や供給などの諸要因によって変動する。

(3) 商品の交換価値を背後で規制する商品の価値とはなにか?
例えば20キロのお米と一着の上着という商品が交換されていたとする。この時両者の交換価値は等しいということが言える。また、それは20キロのお米=一着の上着という方程式で表すことができる。

ここで問題となるのはこの交換価値が等しいという方程式を成立させる量的に比較可能な共通の単位が一体何であるか、ということである。

なぜなら、商品の使用価値は、上述の例のように商品の種類がことなるとともに「質的に異なった性質」のものだからである。両者の間に「共通なもの」を取り出すために、「異質なもの」、」すなわち使用価値が捨象されなければならない。このように考えると、両者の商品にも、人間の労働が加えられた生産された物という「共通の性質」だけが残る。

これより、方程式を成立させる量的に比較可能な共通の単位とは、これらの生産物を生産するのに必要とした労働の量である、ということになる。

だが、この場合の労働とは、お米を作るため上着をつくるためといった個々の特定の生産物の生産に必要な具体的労働方法、すなわち具体的有用労働ではなく、もはや互いに区別されることない、人間の筋肉・脳髄・神経・手足などの「生産のために支出される人間のエネルギー」を意味する抽象的人間労働量もこととなる。

これは、共通の性質を抽象しようして使用価値を捨象した論理と同様に考えればよい。したがって、抽象的労働量がより多く結晶している、または結晶していないという度合いにより商品の価値が変動する。言い換えれば、抽象的人間労働量が交換価値を規制しているといえる。

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