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【書評】新説 家康と三方原合戦 生涯唯一の大敗を読み解く

三方原合戦は、徳川家康の生涯における「三大危機」の一つに数えられており、この合戦で家康は多くの家臣を失い、遠江・三河の領国の三分の二近くを武田に奪われる大打撃を受けている。
一方で、三方原合戦ほど著名でありながら、合戦の情報がほぼ皆無に近いものも珍しく、合戦場がどこであったのかについても、明確になっているとは言いがたいそうだ。
本書では。若き家康最大の危機である三方原合戦について、新たな視点を提供し、合戦にまつわる多くの疑問について再検証を試みた書である。


本書の著者

平山優著「新説 家康と三方原合戦 生涯唯一の大敗を読み解く」NHK出版新書刊
2022年11月10日発行

本書の著者の平山優氏は、1964年、東京都生まれ。立教大学大学院文学研究科博士前期課程史学専攻(日本史)修了。専攻は日本中世史。山梨県埋蔵文化財センター文化財主事、山梨県史編さん室主査、山梨大学非常勤講師、山梨県立博物館副主幹を経て、山梨県立中央高等学校教諭。

本書の章構成

本書の章構成は以下のとおり。

第1章 家康の自立と武田信玄
家康の自立/家康と信玄、その始点/信玄、今川打倒を目論む/三河一向一揆の勃発/家康の三河統一

第2章 甲三同盟と今川氏滅亡
甲尾同盟の成立と武田家の内紛/今川・上杉の密約と武田・織田の連携/家康と信玄、手を結ぶ/今川領国分割問題/家康と信玄、今川氏真を挟撃す

第3章 家康、信玄の訣別
徳川家康の豹変/徳川・今川・北条の和睦と信玄/信玄の駿河制圧と家康/家康、信玄の断交

第4章 開戦
信玄、秘かにつめを研ぐ/武田軍、徳川領国に侵入す/遠江諸城の陥落/徳川・武田の戦闘始まる/一言坂合戦/山県・秋山勢の動き/二俣城攻防戦

第5章 浜松城と徳川家康
家康の見付築城/見付城(城之崎城)の実像/家康、見付城を放棄す/家康、本拠を浜松城に移す/浜松城と浜名湖水運/浜名湖水運と湖畔の諸城

第6章 武田軍の動向と徳川家康の決断
武田軍の動き/武田軍の進路/武田軍の三方原移動経路を読み解く/浜松城の軍議はなかった/武田軍、再び進路を変更す/家康はなぜ開戦に踏み切ったのか

第7章 三方原合戦
三方原をどう読むか/徳川軍の兵力と陣容/武田軍の兵力と陣容/三方原合戦場をめぐる学説/小豆餅・大柴原周辺説/大谷付近説/戦場はどこか/開戦の経緯/戦いの模様/徳川・織田軍の総崩れとなる/犀ヶ崖の夜討ち/両軍の戦死者

第8章 不可解な信玄の動き
信玄の堀江城攻めと刑部在陣/野田城攻防戦/武田軍の行動停止/信玄の死と家康

むすびにかえて
三方原合戦の歴史的意義

本書のポイント

「信長公記」には、「武田軍が堀江城を攻めようとしたので、徳川家康は軍勢を出し、これと戦った」くだりがあるそうだが、「なぜ信玄は堀江城を目指したのか、なにゆえ堀江城攻めは、徳川家康を刺激したのか。」という著者の疑問に真正面から回答してくれる論著に出会うことがなかったそうだ。

著者は2020年晩秋に、遠江の古道と河川、城砦の関係を調べる必要性に迫られ地図を作成したところ、浜名湖の北東に位置する堀江城が「浜名湖水運や湖上軍事に関わる城であり、城主大澤氏はそれを生命線にしているとの研究があったことを思い出した」そうだ。

本書では、「武田信玄が、三河に侵攻するのを停めて、堀江城に軍勢を差し向けようとしたのは、実は浜松城を干上がらせ、屈服させるためではなかったのか。」との仮説のもと、新たな視点で検討が進められた内容がまとめられている。

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