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不幸がアイデンティティ

あのときはあんなにハマっていたことが、いつの間にか興味も魅力も感じなくなっている。こんなにおかしな物事を飽きるの一言で表していいんでしょうか?



こんばんは効率厨です。遅刻の言い訳、結局「寝坊しました」が一番いいと思います。

いままで言語化したことがなかったんですが、明らかに不幸がアイデンティティになっている人っていませんか。特にネット上で。


その場限りの不幸話をしている人ではなく、「サッカーが好き」「ピアノが得意」と同じような感じで、不幸話をする人。


不幸とはまた違うかもしれませんが、
「mbti診断」や、「HSP」、「ADHD」。
こういった言葉をアピールする人もいます。

そういう人に対して、なんというか不快感を覚えます。


おそらくですが、本人たちはそれを自らの個性だと思っているんでしょう。


なぜそれを個性として扱うのか。それは、「不幸」「性格診断」「生まれつきの障害」といったものが、『苦労せず、受動的に得られる特性』だからではないですか。


特にアイデンティティが無い人たちが、手軽に得られそうな個性のようなものを見つけて、自分もその個性を持っている気がしてくる。
「自分にも個性があった!」
そうしたちょっと嬉しい気持ちでプロフィールに書いてるんだろう。努力すらしたことないくせに、そう思ってしまいます。

でもここまで書いて分かったのは、自分は一部同族嫌悪でそういう人たちに不快感を覚えていたっていうことです。

個性がほしいけど苦労はしたくない。相手にそういう深層心理があるのを感じるのは、自分に同じ負い目があるからだろうな。怠惰な自分が嫌いです。


部活に打ち込むとか、誰かを全力で応援するとか。何かに全力投球する経験というのは、思った以上に自分を構成するんです。


「自分に個性がない」と感じる人は、とりあえず何かを始めてみたらいいと思います。料理教室に通うとか、バイト始めるとか、ごみ拾いボランティアに参加するとか。
なんでもいいと思います。


何かが得られるかもしれないし、ワンチャンめちゃくちゃそれを好きになるかもしれない。何も得られないということはないです。やったことは経験になる。料理教室を一年続けてもいいし、ボランティアに毎週参加してもいい。


何かを続けなくても、毎回新しいことを始めまくれば、新しいことに挑戦し続けることができます。何かをきっかけに全力投球に繋がるかも。とりあえず新しいことを始めまくろう!



今日は考えても分からないようなことを無駄に考えました。暇だったので。しかし適度な無駄は効率を産むと信じてます。
こういう今日が、明日の自分をつくってんだよ。
知らんけど。



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