摩尼遊戯TOKOYO完全攻略文

1.はじめに

いま、(2015.9/19-10/4まで)福島のいわき市、平(たいら)という地区で、
カオス*ラウンジ
という美術の団体が、『市街劇「怒りの日」』という展示をしています。ぼくも出展していて、「摩尼遊戯TOKOYO」というシューティングゲームの作品をつくりました。

説明書の冒頭にはこう書きました。
『摩尼遊戯TOKOYOは、さまよえる様々な魂を『よし』の2文字でおさめ、功徳をつみながら常世を目指すゲームです。目指せ読経1,000,000回分の功徳!』

このゲームは、「みんなで大きな数珠を回して、お経を唱えるかわりにする」「摩尼車をまわして、お経をとなえるかわりの功徳を得る」とかそういう風習について考えていた時、もしかして、そういうビデオゲームがあっても良いのかもな?と思ったことからはじまりました。

展示にきて遊んでくれるみなさんは、とても楽しんでくれて、嬉しい感想をたくさんいただくのですが…いかんせんなかなか難しいゲームとしてつくってしまったため、ゆっくり見て話し込んだりできないみたいなので(汗)

テキストで説明というか、なりたちみたいなものをかこうかなと思いました。プレイしたあとに、思い出しながら読んでもらえると嬉しいです。

まず、このゲームは、プログラムを作ってくれた平野佑樹くんと、音楽、効果音をつくってくれたGigandectさんのおかげで完成しました。平野くんにいたっては、敵の攻撃パターンや、ステージの構成なども二人で相談しながらつくっていったので、ゲーム性のかなり多くの部分をつくってくれました。そして絶妙なゲームバランスが生まれました!

2.つぎに

このシューティングゲームは、ひとつのステージが延々とループしています。ステージ1で、袋中上人が乗り込んだ木魚型のマシンは、沖縄から出発し、そしていつのまにか、常世にたどり着きます。

摩尼車のように、永遠に、無限に回転させることができる、というのも一つの目標でした。

(製作中にこんな図をネットで見つけてうれしくなった↓)

出典:日本人の宇宙観-飛鳥から現代まで-

いわきのリサーチでいろんなところにいったり(とても自然がきれいなところがたくさんあります)、このゲームをつくりながら、移動についてとか、常世やニライカナイ、高天原、浄土や地獄などなど、様々な古文や宗教概念に出てくる場所の、位置関係について考えていました。

地獄はなんか下っぽいなとか、浄土は上にあるような感覚があるのですが、
どうやら常世(ニライカナイ)というのは、上でも下でもないようなのです。
この展覧会のキュレーターの黒瀬さんと話している時に、教えてもらったことがあります。

ニライカナイや常世というのは、「海の向こうのどこか遠く」という、地続きだけどすごく遠い、なんか海外みたいな概念なのではないか。ということでした。《先日、展示中に来てくださった仏教研究者の方にお聞きした話によると、日本仏教でも、浄土という概念は必ずしも方向的に天ではなく、やはり地続きの遠くで、常世やニライカナイに近い概念であった。とのことでした。びっくり!蜘蛛の糸みたいな話はどういう解釈になるんだろうか。》

ほとんど無限にちかい形で、ただひたすら、ほぼ永遠に進んでいくと、いつの間にか全く違う場所に到着する。現世ではない向こう側への境界をいつの間にか超えて、気づかぬうちに辿り着いてしまう。

電車や車などの乗り物に乗って長旅をしているときとか、永遠に旅をしてきたような感覚になることがあります。ずっと同じ場所を回っていて、到達がないような気がしてくる。
そして急に、到達というピンが打たれると、思い出したときでさえ、過去の移動はループのまま閉じていて、どうやってここにきたのかわからない。そんな経験はないですか?ぼくだけ?

ぼくは徒歩や自転車ではこの感覚になったことはないんだけど、
これは多分距離の問題なのだと思うのです。だから昔の人は、徒歩でも長旅をしたので、こういう感覚にしょっちゅうなったんじゃないだろうか。
永遠に続くループと、急な別世界っていう感じに。

2012年3月10日、車で福島第一原発20キロ圏内に近づいたときのことを思い出しました。道に境界はなく、気づかぬうちに人の姿は減り、放置された家に草木が生い茂る全く別の空気の場所になりました。そして感じたことのない空気(人間の姿がなく、木々や自然が全てに勝っているという点で、山岳信仰的な、神社に近いような空気感)に包まれるのです。境界はなかった。ただ、進めば進むほど、周りの景色はどんどん変わってゆきました。

ニライカナイや、浦島伝説での竜宮、常世という概念は、地続きの別世界として、ぼくにとってはそんなリアリティをもって現れました。

そしてそういうリアリティを表すには、ただひたすらに流れる風景の中を強制的に進んでいくシューティングゲームと、すごく相性が良い感じがしました。

3.そして

ステージ2は、賽の河原です。そうよばれている場所がいわき市にあり、リサーチの時に訪れました。そこでは、水子の霊達がたくさん祀られているのだけど、震災でその水子地蔵さまたちも流されたり、たおれたりしてしまい、今はボランティアの人たちが綺麗に直してくれたみたいです。

そこはU字型の洞窟になっていて、海側から入って海に出るようになっていました。海の音が洞窟に響いて、とても美しい場所です。

洞窟というのは、それこそ賽の河原にも似た、むこうとこちらをつなぐ橋のような役割があるのだなと思います。

4.そのつぎに

・見えない場所に閉じ込めて、聖域を作り出す。地球の外側にしてしまう。
・地上に星を作り出せば、その周りは宇宙になり、人間は簡単には立ち入ることができなくなる

ステージ3《常世》は、福島第一原発付近をモチーフにしています。そこは聖域とも言えるのではないかと思います。人間が、入れないのだから。

かつて福島だったもののうち、流されてしまった福島は、聖域として隠されて、いま問題なく入れる福島は、残った方の福島です。流された方の福島がかつてどういうものだったのか。現在それは、奇妙な神性をもって残っています。

原子力というのは、太陽と同じ、核融合のエネルギーです。(太陽を盗んだ男っていう映画があったなあ)原子爆弾や原子力発電所は、人工の星を地上に作ろうとしている感じです。

だから、そこに宿る神はきっと太陽神でしょう。それは、人間がものを初めて作ったときのような、純粋な輝き、エネルギーに満ちていた可能性があります。


人間が神が宿るものをその手で初めて作った時、おそらく巨大な恐怖として、そして力の根源として、作られました。人間は動物です。動物は、暴力をやめることができない。

星のカービィの《銀河に願いを》というゲームのボスが人口の月だったので、人口の太陽をボスにしたら結構似た感じになった感じがありますが(汗)
4つの太陽をもった太陽神は、向こうの画面に現れます。見えるけど近づけない存在は、常世のさらに向こう側にいます。



4.あとは

ステージ4(ボス!)は、太陽神が神様としての形を現した状態です。
すごく怒っている!!

はじめは最後のボスは、この展示全体の重要人物の高僧、徳一を想定していました。徳一の怒りを袋中上人が治めるという形が一番スムーズだなと思っていました。

徳一は、最澄の思想と言い争って怒ったみたいで、それが今回の展示「怒りの日」の名前のもとにもなっているとのことでした。ぼくの解釈だと、徳一の仏教思想は、ゴリゴリのハードコアな日本語ラップだったんだけど、最澄がバンドサウンドとか英語とか入れた、ポップなラップを作って、Mステとか出てセルアウトしようとしたから、公開処刑するぞおいって怒って、リリックをしたためた。みたいな。

聞きながら進みましょう。

そして徳一は、わすれさられてしまった。そのハードコアな仏教思想とともに。

忘れられたことでさらに怒るわけです。その《怒っている》部分と《忘れられた》部分を抽出して、別のキャラクター(ボス)が出来上がりました。

このキャラクターについてぼくが一番最初に考えたのは、古事記でイザナギとイザナミの間に一番最初にできた子供、ヒルコのことでした。ヒルコは、生まれながらにして障害があり、できが悪くて、それを失敗作だと感じたイザナギイザナミは、海に流してしまうのです。そして忘れる。
(海に流されたヒルコの存在は、古代、古事記以前の太陽神であり、その概念を消去し更新するために流した、という解釈もあるみたいです。そしてこのヒルコが、七福神の恵比寿様になったという説もあります。)


徳一の論じた仏教思想も、3,11でおこったことも、水に流してしまう、忘れてしまう、というのでは、怒るのです。

流してしまう、その潔さに日本が救われたことはなんどもあると思います。
だけど、それで怒る人だって、もちろんたくさんいて、わすれるなよ!そんなに全部けろっと、わすれるんじゃないよって怒るのです。

きっと誰かが覚えていて、怒らなければいけないのだと思います。
怒っている人の切実さは信じたいものです。
あとは、すみやかに怒りをおさめたいですが。怒ってる人はこわいので。

そして同時に、大日如来のことも考えました。
ぼくの実家は真言宗という宗派でしたので、大日如来を本尊としていたなあと。

大日はその名の通り太陽の神様です。それはヒルコにも通じるし、大日如来は古事記に出てくる代表的な太陽神、天照大神と同神とされることもあるそうです。(のちにまたもや仏教研究者の方から、大日には未熟児としての解釈要素も強いということを教えていただき、それはヒルコにつながる可能性があるとの見解もいただきました。このへんもうちょい勉強したいところです。ちなみに彼は、ゲームは苦手と言いながらも様々な仏教的見解を僕に話してくれつつ難なくステージ4のボスをたおし1,000,000功徳を得ました。)

とにかくこの太陽神(エネルギーの象徴)は人間に作られて、遠くて近くの、入れない神聖な場所にとじこめられて、おもいだせって怒っているんだ。

移動のすえは、おおよそこういうことに行き着きました。
いわきまで来た人は、がんばって全クリしてくださいね。徳があがります。

読経1,000,000回分の功徳を得られるチャンスなんて、めったにありませんからね。

おしまい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?