天体観測とドラゴンナイト

ポップミュージックについて

2002年に僕が中学校にいたころ、
流行ったポップミュージックと、
2015年の今若者の心をとらえているであろうポップミュージックの話。

天体観測は、「見えないものを見ようとして」だった、
ココから遠くをみていて、僕らと知らない誰かの話だけど、
実は知らない誰かについて渇望しているわけではなく、それを共有する仲間との日常のはなしだった。

天体観測は日常のなかのイベントで、現実はひとつで、でも、遠くに何かあるんだっていう話だった。
主観の青春だったのだ。

ドラゴンナイトも、特別な一夜の歌だ。

ドラゴンナイトには、もう知らない誰かがいない。みんな、お互い知っている。
お互いが憎み合っていることも、それでもお互い心を持っていることも、分かっている。

何故お互いのことを同時に語れるのか。それは、モニターの外側に自分を置いているからだ。
「友達のように踊るだろう」
友達ではないかもしれない。僕ら、は、僕にはなりきれないから、
本当に友達なのかどうかは分かることができない。
それらは、モニターの、デジタルノイズで若干解像度が下がった世界の出来事なので詳細はわからないが、
歌は、僕らを遠くから見ている。

客観なのだ。客観ということは、
他人事ということでもある
ただ、もはやこの世界では、他人と、僕ら、すら分かれていない。
青春を、知らない遠くから見ている。

遠くを見る僕らの青春から、
遠くから見ている僕らの青春へ。
もしかしたら「せかいのおわり」かもって思いながら

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