見出し画像

「公立中学校教員の6割が,月80時間以上の過労死ラインを超えた超過勤務をしている」発表の翌年,学校が変わった。

 2018年4月,3人のこどもの育休を終え待ちに待った復職。

 地方の公立中学校である我が校では,

○平日1日部活動休養日を設ける

○土日の部活動はどちらか1日4時間以内

○家庭訪問なし

○学校支援員の配置(主に会計業務担当。1日あたり4時間勤務)

○学校図書館補助員の配置(ただし週1,4時間のみ)

○時間外勤務80時間超で管理職と面談(怒られるらしい)

 2017年,文科省が「公立中学校教員の6割が,月80時間以上の過労死ラインを超えた超過勤務をしている」と公表したことが背景にあると思われる。2010年わたしの初任の頃,多いときで時間外勤務は200時間を超えていたと思われる。「思われる」というのは,当時勤務時間を管理するツールがなかったからだ。臨時採用時代,大阪市ではすでにタイムカードが導入されていたが、採用された自治体では出勤簿に印鑑(!)というスタイルだった。冗談で同期と時間外勤務を計算したところ,100~200時間くらいとなり,さらに時給に換算すると300円台だった。

 それでも辞めたい気持ちはなかった。自分がやればやるほど,生徒の・自分の力になっていることが実感できた。教壇に立てたことがうれしかった。生徒に「先生」と呼ばれるたびに胸がいっぱいになった。

 時が経ち,母となれば事情が変わった。以前と同様の仕事と育児や家事を全力で行うことは無理になった。先輩教員や書籍などからヒントを得て,悩みながら試行錯誤する日々が始まった。(この話題,また詳しく書きたい。)

 そんなわたしにとって,変わっていく職場は,追い風のように思われた。たしかに,8年前と比べ業務は減った。しかし,きっと元が多すぎるのだ。2018年,育休明けの配慮により,授業時数21時間で副担任,水泳部顧問,図書館担当,主任等なしで毎月50~80時間の時間外勤務だった。2019年は授業時数24時間で特別支援学級の担任(他は昨年スライド)で60~80時間程度と少し増えた。わたしは80時間(過労死ライン)を超えることはなかったが,4分の1ほどの先生方が超えていたと思われる。年度途中から「2020年は,市教育委員会は時間外45時間以内100%を目標にしてる。」という話が聞こえてくる。

 そしてやってきた2020年。わたしは,授業時数21時間で通常学級3年生担任,進路指導主事,水泳部顧問,図書館担当,中堅研修(11年目の教員が受ける法定研修)という,かつてない数の肩書きがつくことになる・・・。

 長くなったのでつづきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?