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イギリス経験論の後継者、ジョン・ロック(1632〜1704)

彼は、イギリスの絶対王政末期の思想家であった。彼は「自然法」の支配の下、各人が生命、自由、所有権に対する「自由権」を持つ平等な社会を想定し、今日の民主主義の先駆者の位置を与えられている。

彼の宗教的な立場は、一応、プロテスタントに属するアングリカン・チャーチの立場であった。あの名誉革命(1688〜89)は、一種の宗教戦争の様相を呈していた。つまり、カトリック側の王国継承者に反対し、プロテスタント側のオランダ総督オラニエ公ウィレムを国王に迎えようとする運動であり、このオラニエ公ウィレムはウィリアム3世として即位することになる。この政変が、ほとんど流血の惨事なしに成功したのを当時の人は喜び、名誉革命と名付けたのである。この名誉革命にあたって、ジョン・ロックは指導的立場にあった。


「人間知性論」で生得観念を否定

彼の代表的著作は「人間知性論」(1690年)。
英語で言うところの悟性(understanding)は、ドイツ語のverstandとともに、理性vernuft、reasonと区別されることになるが、ロックではまだその区別がなかったので、「人間悟性論」という翻訳もあるが、この訳は正確ではない。「人間知性論」の方がロックの思い近いものであろう。

この人間知性論において、彼は「観念」の成立についてまず論ずる。彼は「生得観念」(生まれながらに持っている観念)など存在しないことから解き始める。

以上のように、まず彼は「生得の観念」など存在しないことから解き始める。彼は、心には「生得観念」等は存在せず、心は「タブラ・ラサ」=「白紙」であることを主張する。この有名な「タブラ・ラサ」というラテン語は、ロック自身が用いたのではなく、後になって大陸合理論者のライプニッツが、ロックの認識論を批判したときに、はじめて使用したものであるが、以後、ロックの説としてまかり通ることになる。このようにロックは「観念」とは「感覚的方法」によって入手したものであるとする。その上で、この「観念」には「単純なもの」から「複雑なもの」まで雑多に存在する。しかし、この「複雑な観念」のうち、いくつかは、人々の「共感」によって成立したものだと言う。例えば「実態」だの「神」だなどと言う「複雑観念」がそうであると言うのである。では、かく言う「自己」についての「知識」はどうであろうか。これまた「人格」の「同一性」つまり「私」は「私」であり「他者」ではないと言う自覚は、我々の知れない「精神的実態」の発現したものなどと言うものではなく、「自覚」ーー自分についての感覚ーーの「同一性」がある限り、同一の「人格」であると説く。

いずれにしても、彼の場合「感覚」によって得られた観念の優位を主張し、それ以外の観念などは不確実なものとしている。要するに、以上のように、ロックは「感覚」をもとにした「経験論」の立場から、旧来の伝統的「神学」体系に異議を申し立てたのであり、このことによって旧来の神学に基づく社会秩序観に対して、反対の意を表したのである。

「統治二元論」で「国民の権利」を主張

「統治二元論」(1690)
第1論では、当時、盛んであった「絶対主義的政治理論」に反対する。第2論が特に重要である。ここでは「国家」が「国民」によって選ばれた「立法機関」と「君主」の統治する「行政機関」によって成ることが論じられる。

しかし「国民」の自然権、所有権が第一である。したがって、君主の主宰する「行政機関」が、それにそむくようなことをした場合には「国民」はそのような「君主」の「行政府」を、つまり「政府」を倒す権利を有する。

つまり、「最高権力は国民にある」ことを主張した有名な論であり、近代の「国民主権論」の源流とされ、あるいは現代民主主義の原点であるという主張もなされている。

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