名古屋観光ホテル
「由緒正しい」を感じさせるホテル。なるほど、昭和天皇・皇后両陛下、タイ国王・王妃両陛下、フランス・シラク大統領も滞在しただけある。私がホテルに到着した時、ドレスやフォーマルスーツを着た人たちばかりがロビーにいた。お日柄が良かったのだろう。ホテルのスケジュールボードには六組の披露宴が記載されていた。
そんな「きちんとした」ホテルに、私はジャージ姿で行った。でも、街でもホテルでも冷たい視線は感じなかった。その日、名古屋ウィメンズマラソン、名古屋シティマラソンが開催されていたため、多くの人たちが「走る格好」をしていたからだ。名古屋では市を挙げてマラソンフェスティバルに取り組んでいるようだ。もたらす経済効果はいくらなのだろうか。
名古屋観光ホテルは、渋沢栄一率いる米国視察団に参加した伊藤次郎左衛門(時の名古屋ロータリー倶楽部会長)の、「名古屋にも国際級のホテルを作るべきだ」との提唱によってスタートしたホテル建設構想の一貫で1936年12月に開業した。翌年3月、名古屋汎太平洋博が開催され、国内外からの宿泊客で盛況だった。
1939年9月、第二次世界大戦勃発。第二次世界大戦後は一時期進駐軍に施設を接収された。
1956年12月より営業を再開。営業再開後は、昭和天皇皇后両陛下、皇太子殿下、タイ国王にも御滞在をいただく機会を得て、戦前以上に“中部の迎賓館”として、その存在感を広く認知されることとなった。
1964年東京オリンピック、1970年大阪万博が開幕。時代のニーズに応えて、1972年12月、当時名古屋一の高さ(81.5m)を誇る客室数505室の国際級の威風堂々たるホテルとして全面改装された。また、1996年の開業60周年を機に、館内の大改装された。(名古屋観光ホテルホームページより)
その後、記憶に新しいコロナの時代を経て現在に至り、2024年、88周年を迎える。
長い歴史の中で数々のイベントを乗り越えてきたこのホテルには、どんな目的で来ても温かいおもてなしがあった。スポーツウェアの私でも気後れすることない雰囲気で迎えてくれた。ホテルの内装とか色使いとかのおかげなのかな。桜の飾りつけが施された一階ロビーを通ってエレベーターに乗り、受付のある六階でドアが開くと、気品のある調度品と爽やかだけど落ち着いた香り。とてもリラックスできた。
今の私にとって、「リラックスできる。」は最重要課題だ。出張先の東京のホテルで倒れて吐いて・・・以来、外泊する時は必ずホルモンバランスを整える「いつものドリンク剤」を持参している。外泊先での「お守り」だ。でも、名古屋マラソンのスタート会場で、ドリンク剤を飲むのを忘れてしまったことに気がついた。ホテルで外出の支度をしている時、自宅にいるようにリラックスしていたので、つい飲み忘れてしまったのだ。「プププ。」笑えてきた。嬉しい笑いだ。マラソン会場でも好調をキープできていた。
10キロ完走後、ホテルに戻っランチを食べた。 朝食もホテルで食べたが、さすがにマラソン前なのでお腹いっぱいは食べられなかったけれど、とても美味しかったので、昼もホテルレストラン「LE SUD(ル シュッド)」で食べようと決めていた。
「LE SUD」では「地産地消」をテーマに地元素材にこだわったメニューを提供していて、愛知県の野菜をふんだんに使ったスパニッシュオムレツ(みたいな卵料理。ここはイタリアンなので「スパニッシュオムレツ」ではないと思うけど、正しい名称がわからない。すみません。)は、じゃがいもの甘さと緑色の野菜の野菜の風味が絶妙!美味しかった。ホワイトクリームソースのパスタの歯ごたえは最高!チーズはシェフがその場で絡めてくれた。濃厚だけどしつこくない。「あぁ、食べてよかった。」からだの細胞とか脳に栄養が染みる感覚、「食べる喜び」を感じてランチができるのは何年ぶりだろう。
その日、「LE SUD」のイタリアフェアがたまたま開催されていた。アコーディオンの生演奏をやっていた。音楽に疎い私でも知っている『登山電車 (フニクリ フニクラ) 』を弾いてくれた。軽快な音楽と美味しい食べ物。「幸せ」は、確かにそこにあった。
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