見出し画像

21歳から25歳にかけて、僕はバイトとバンド活動に明け暮れていた。大学4年生の頃、周りが就職活動を頑張っている最中、僕らは夜な夜なスタジオに入り、曲を練習していた。

大学卒業後は、田川に帰り、田川にある唯一の古本屋でバイトをする傍ら、バンド活動と釣りばかりしていた。そして、バンドの練習の日は、夜が明けるまでメンバーと遊んでいた。

僕らがやっていた遊びは、本当にバカなことだった。福岡市を南北に縦断する渡辺通りを2台の車で走っている時、赤信号での停車中、後続車が前方の車にクラクションを鳴らす。

すると、前方の車に乗っていたドラムのM君が降りてきて「誰がならしたんか?」とブチ切れて、僕を車から引きずり出す。そして、僕を渡辺通りの中央分離帯に投げ入れる。

そして、僕とM君は急いで車に戻り、青信号に変わると、何事もなかったかのように出発する。そんな遊びをしてた。車の中で見ている他のメンバーはゲラゲラ笑った。ゲラゲラ笑ってくれるから、その遊びをやっていた。

渦に巻き込まれないように足掻く僕ら

社会的に見て、22〜23歳位でこんなことしている奴らはゴミだと思う。何が面白いかも分からない、意味不明なことをして、仲間内でゲラゲラ笑っている。バカでしかない。

しかし、僕らの視点から語らせてもらうと、僕らは足掻いていただけなのだ。

「社会的に見て」という「渦」に巻き込まれないように、自分が何者であるのかを、仲間内で証明し合いながら、足掻いていたのである。

これを一般的に、若気の至りというのかもしれない。そして、一般的に、若気の至りは痛々しいことである。

しかし、僕は、中央分離帯に投げ込まれたあと、傷だらけになりながら、何事もなく車に乗り込んだように、傷だらけになりながら、ただ、足掻いていたのである。

足掻いた挙げ句、手に入れたもの

僕らはこの足掻きの中で、何かを手に入れることは出来なかった。バンドで有名になることは出来なかったし、LIVEにも新しいお客さんが増えることはほとんどなかった。

それは、一緒に足掻いていたみんな同じだった。誰かが何かを得たことはなかった。みんな、それぞれ足掻いていたが、横並びに全員、同じ位置に居た。

僕らは物理的に、一ミリも前に進めなかったのだ。

けれども、この時間が無駄であったとは思わない。多分、みんなそう思っていると思う。「過去を肯定する」というわけではなく、あの時に得た経験が何かに活用できたということでもない。

あの時、みんなで足掻いたから今がある、ということ

何の因子が、何に影響を与えるのかは分からない。それは、コテンラジオを聴いて僕が学んだことだ。おそらく、これもその例になると思う。

あの時、誰から見ても無駄な時間を、みんなで過ごしたことは、何らかの因子になって、僕らの今に影響を与えている。その論理や物理法則はわからないが、結果としてそうなっている。

さらに、みんなが一緒に足掻いた経験は、僕らの中で、精神的な深いつながりを生んだのだと僕は感じている。僕だけかもしれないけれど。

例えば、僕は、あの時のことを思い出して、今でも笑うし、現在、あの時とは正反対の環境で働いていること、そして、そこが嫌だなーと思う環境であることも、何となく客観視することが出来ている。

それは多分、めちゃくちゃ大事なことだと思う。何が大事なのか、何の因子になっているのかは、全くわからないが、多分、めちゃくちゃ大事なことだと、今でも強く思っている。

以上です。いつもありがとうございます。また読んでください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?