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葛飾北斎は本当に老いても画を学び続けた人です。

1834年、75歳の時に『富嶽百景』の跋文でこう書いています:

己六才より物の形状を写の癖ありて、半百の比より数々画図を顕すといへども、七十年前画く所は実に取に足ものなし。七十三才にして稍(やや)禽獣虫魚の骨格、草木の出生を悟し得たり。故に八十才にしては益々進み、九十才にして猶其奥意を極め、一百歳にして正に神妙ならん歟(か)。百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん。願くは長寿の君子、予が言の妄ならざるを見たまふべし。

本当にすごい。まるで75歳の時点で人生がようやく始まったかのようだ。彼は確かに一貫して多作で勤勉に絵を描き続けていた。

14年後の89歳の時、『画本彩色通』の序文でこうも書いている:

九十歳からは画風を改め、百歳を過ぎてこそこの道を改革せんとするのみを願う。長寿の君子よ、我が言の誇大ならざるを知り給え。

意味は上記と同様だ。彼は「成長」とその自覚のために長生きを大変望んでいた。

残念ながら翌年の1849年に死去したが、亡くなる直前、「天よ、あと10年、いや5年だけでも与え給え。本当の画家になれるのだから」と言ったそうだ。

一人の人が自分の芸術の道のりを見据え、頭の中でその到達点を何度も演出できることに大いに敬意を表する。


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