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スタミナと底力勝負ならエルコンドルパサーの名を探せ

あの馬がもっと長く生きていたら、どのような産駒を出したのだろう。もしかすると競馬の世界が変わっていたかもしれない。サイレンススズカが不運に見舞われなければ、ナリタブライアンが病に倒れなければ、などなど。長く競馬を見ていると、ふとそのような感慨にふけることがある。競馬は血の歴史でもある以上、名馬が血をつなげないことは最大の損失であり、たとえ一滴でもその血が残ることには大きな価値がある。

エルコンドルパサーはまさにそうであった。全くその血を残せなかったということではない。2000年に種牡馬入りしてから、誕生したわずか3世代(出走頭数にして303頭)のデビューを待つことなく、2002年に腸ねん転によりこの世を去ってしまったのだ。もしあと10年、いや欲を言えば20年、種牡馬として生きることができたとしたら、おそらく日本の血統地図は大きく塗り替えられていたはずである。

サンデーサイレンスを父に持つ繁殖牝馬と配合できる種牡馬の最右翼であるキングカメハメハと同様に、エルコンドルパサーはミスタープロスペクター系のキングマンボを父に持つ。キングマンボ産駒は26頭のG1ホースを世界中に送り出したが、そのうちの最強馬である2頭が、日本馬として血を残しているのだから不思議である。キングカメハメハは芝・ダートを問わず、スプリンターからクラシックディスタンスを走る馬まで、万能な種牡馬としての地位を不動なものにしているが、エルコンドルパサーは果たしてどのような産駒を誕生させたのだろうか。

エルコンドルパサーを管理した二ノ宮敬宇調教師はこう語ってくれた。

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