人間を苦しめている「嫉み」と「承認要求」

アダムとイブが、神様に絶対に食べてはならないと言われていた果実を食べ、それに怒った神様が罰として楽園を追放し、羞恥心が芽生えたのは有名な話です。神様に背き、欲に負けた人間に神は罰として苦しみを与えました。人間はそれ以来、それまで気にもしていなかった羞恥心に支配され、苦しむ事になりました。

 

これと同様に、「妬み」「嫉妬」の感情も生まれます。実はこれらも神が与えた罰として与えた苦しみです。人を羨む気持ち、嫉む気持ち、嫉妬心はいつも人を苦しめます。他人と自分を比較して他人の方が恵まれていると感じる事で、他人を羨み憎むという感情が生まれ、自分が不幸だとか不遇だとか感じ、苦しむ事になるのです。

 

また、誰かに認められたい、特定の人に認められたいという要求があるのも、神が与えた罰です。これらの要求は、叶えられなければ何故叶えられないのか、自分だけが不公平だ、理不尽だと感じて苦しむ事になるだけです。

 

他人と自分を比較して勝ろうとする事は、無意味なだけでなく、神が人間に罰を与えるために仕掛けた罠にまんまとかかったという事だと理解する必要があります。もし、比較する他人が自分より優れた人であった場合、その人は一生勝る事が出来ず、劣等感と嫉妬心に苦しむ事になります。もし、比較する他人が自分より劣った人であった場合、その人は常に勝っているため、優遇感に溺れ、努力することも無く傲慢な信用されない人になり、苦しむ事になります。いずれにしてもこの他人と自分を比較しようとする感情の支配から解放されなければ、人生は辛く苦しいものになるのです。

 

これらの感情は、欲であり、人を苦しめるために神が与えた罰だという事を知る必要があります。

 

これらの感情に支配されている人生は辛く苦しいものですが、この事に気づく事が出来れば人生は楽になります。誰かに認められたいという欲求を消す事が出来、嫉む気持ちを消す事が出来、他人と比較したり他人を羨やんだりしない人生を送る事が出来れば、人生をとても楽にすることが出来るのです。

 

人間は生まれながらに平等などでは決してありませんが、十分に公平です。これが理解出来ないと自分の現実を正しく認識する事が出来ず、他人との比較ばかりして、自分を受け入れず、他人を受け入れず、理不尽さだけを感じる人生になり、幸せを感じたり、生を受けた事への感謝を感じたりすることなく、不平不満に支配されて苦しい人生を送ることになります。

 

現実を正しく認識し、自己及び他人を受容し、自らの欲求は罠に嵌っている状態であることが理解出来れば、これらの欲求の支配から解放され、今日の現実に幸せを感じる事が出来、人生を苦しいものから楽しいものにすることが出来ると思います。

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