世の中息苦しくなった気がしませんか

 自他共に認める脳天気な私ですが、かなり前から感じているのは、息苦しさ(生き苦しさ)です。もう20年くらい前にタバコの受動喫煙だと騒がれ始めた頃からです。私は愛煙家ではなく、昔は煙で咳き込んでいた嫌煙家ですが、隣で喫煙されても気になりませんでした。副流煙云々で嫌煙家が自己主張を始めた頃は、ありがたいなとは思いましたが、そこまでやるんですかという思いも持ちました。しかし、科学的根拠もある主張なので愛煙家も大変やなぁぐらいで過ごせました。
 しかし最近は何で?と感じることも少なくありません。例えば有名人の不倫騒動です。不倫が良いかと聞かれれば、悪いと答えますが、所詮他人の問題です。それを取り上げてバッシングするのは何で?と感じてしまいます。昔は芸人にとって不倫等は芸の肥やしと言われていたようですが、それも認めたくはありませんが、バッシングしようとも思いません。
 そんな遠くの亊ではなく、田舎に住む私のところでもまっとうなルールを一杯作って皆で守りましょうと声高に言われます。少しでもそれを破るとルールを守りましょうと言い合います。多分小さなことを見過ごすとだんだんひどくなると言うことだと思われます。だから正面切って反対はできないのですが、息苦しくなってませんかと言いたいのです。スカッとした話と言う題でネット等に出てくる物のかなり多くはルールを守らなかった人をギャフンと言わせる類いの物が多いように思います。もう20数年前の冬に長女とかなり有名な催し物を見に行きました。寒かったのですが、久しぶりに2人で話ながら行列にならんでいると、男の子を連れたお母さんとおぼしき人が後から来て列の前の方に行ってさっと列の中に入ったことがありました。その時に感じたのは「ズル」よりは「お母さん、列に並んで子どもと話ができたのに、その機会を放棄したんと違う」と言う気持ちでした。多分そのお母さんに言えば「普段から子どもとしっかり話しあっとる」と言い返されそうですが・・・。少なくとも私(父親)にとってこの時親子で話せたことは今も良かったなぁと思っています。寒いなあぐらいは言い合った気はしますが、話の内容はどうでも良いんです。
 ルールは破られるためにあると言うのは名言だと思っています。そんな小悪よりも許せない大悪に目を向けたらいかがですかとも言いたいのです。例えば政治です。国の公文書が改ざんされたのは認めるが誰がやったか分かりませんで済ませて、関係したと思われる人たちが出世するなどと言うのは、先進国と言われる国の中で日本だけではないでしょうか。その作業を命令されたことにより苦しみ自殺までした人がいるのに。他の国では草の根を分けてでも探し出して厳罰になるし、担当大臣はおろか内閣総辞職・国会解散で与党惨敗となるはずです。国の価値を後進国以下に下げられたと感じるからです。つまり日本では大悪は許すが小悪は許さない。1人殺すと殺人罪だが(戦争等で)100人殺すと英雄となるのと似ていませんか。
 最近ビックリするような凶悪な犯罪が多発していますが、その犯人の性格・生活暦等を見聞する限りでは、そんなことをしそうな人よりは、何であの人が?と言われる人の方が多いと思いませんか。もちろん許せない行為ですが、今の世の住みにくさ(ストレスと言い換えても良いかもしれません)に押しつぶされた人かも知れないと思っています。また、犯行前も凶悪な人であっても生育歴等を聞くと、もっとまともな環境で育っていれば・・・と考えずにはいられません。私は人間については性善説の立場をとりたいと思っていますから。


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