また親しい知人が亡くなりました

 先日92歳の誕生会をその女性のお宅でしました。集まったのは98歳のおじいちゃんと私です。この年になれば「この3人の内、誰が一番にあの世にいっても不思議ではないですね」と話し合っていました。するとその女性が1通の手紙を見せてくれました。
 それはヨーロッパで活躍されているバイオリニストからのものでした。内容はその彼のお母さんがこの春に65歳で亡くなったという知らせでした。この女性はここの地元出身で、結婚されて横浜に行き、2人の子どもに恵まれたのです。本人もピアノの先生をされていたからか子どもに音楽の英才教育をされたら、ご長男の彼が中学生バイオリンコンテストで優勝して、副賞でパリ音楽院に進学できるとのことでしたが、フランスは15歳の少年1人の入国を認めてくれません。そしてその下には妹もいました。そのためその女性は夫を日本に残して、二人の子どもとフランスに行くことにしました。もちろんフランス語は一切分からない状態でした。知人も住む場所もないのに、子ども二人を連れてのパリ行きでした。おまけに副賞のパリ音楽院には無条件に入学できるのではなく、入学審査を受けることができるだけでした。しかし、優秀な子どもで第7次審査まで通過して入学することができました。
 しかし、その頃の彼女と私は一切の関わりもありませんでした。私が退職したとき、クラシック音楽愛好家にはかなり知られていた音楽史研究家の桧山浩介先生が地元におられ、『クラシック音楽』についての市民講座が始まって、私も誘われて参加することにしました。この桧山先生と彼女が遠い親戚でした。彼女も最初は知らなかったようでした。
 彼女のお父さんは地元にいて、ある病院に入院されていました。そのお見舞いを兼ねて、帰国されました。そしてお父さんに孫のバイオリン演奏を聴かせたいと院長に許可をもらいに行ったところ、たまたま音楽好きな人で「それなら病院の待合室で希望する患者にも聴かせて欲しい」との申し出があり実施されました。そのときに桧山先生のことを知ったようです。
 それから、ちょくちょく親子と彼の演奏グループも含めて帰国されて県内の小中学校で演奏したり、大きなホールで演奏会をしたりしていました。
 市民講座で桧山先生から、その事を知らされて、親戚とか関係なく素晴らしいバイオリニストと紹介されました。その後会う機会があって面識ができましたが、彼女のことは何も知りませんでしたが、会って話の中で上に書いたことを知りました。何も分からないところに子ども2人を連れて、出かけるような肝っ玉母さんには見えませんでした。そして私がビデオ撮影からDVDやBlu-Rayディスクを作るのが趣味だと分かると、子どもの演奏会の録画を頼まれ、一緒に同行するようになりました。正直言ってクラシック音楽は苦手です。何かカタグルシいからです。しかし趣味がオーディオなので楽器の生音が聴けるのはものすごく嬉しいし楽しいのです。大きなホールでの演奏会の撮影のときには、セッティングのため早く会場に行きます。そうするとリハーサルと本番の両方が聴けます。その両者で音が少し違うことに気がついたときは嬉しくて、彼に言うとそばにいた彼の恩師の大学教授にドイツ語で聴いてくれました。そうしたら「当然違うだろう」と教授から答えられ、私の感覚は正しかったのだと喜んだこともありました。
 そんなわけで彼女が帰国するたびに面会し、時には留守にしている家のメンテナンスなども頼まれたのです。
 その頃市民講座の他のメンバー2人だった、現在92歳のおばあちゃんと98歳のおじいさんと我々夫婦の4人で、月に一度飲み会・カラオケをしていました。彼女が帰国したときには彼女も加わってもらっていました。私の30年以上続くギャグに「家で耐え、学校で耐え、耐えるだけが人生よ」というのがあります。務めていたときは同僚から「家で吠え、学校で吠え、吠えるだけが人生よの間違いだろう」と言われていました。退職してからの4人の飲み会でも「家で耐え、とにかく家で耐え、耐えるだけが人生よ」と言っていました。ちなみにこのパリに住む彼女の名前は妙子さんです。私が例のように「家で耐え・・・・」と言うと「私、妙子です」と答えてくれるお茶目さんでもありました。そして子どものためだけではなく、ご自身もピアノの先生でもあり、また大正琴の師範もされていて、こちらにも指導されているグループをいくつも作られていました。
 しかしコロナ禍のため帰国できないとメールが来たのを最後に連絡がつかなくなりました。何度かメールを送ったり92歳のおばあちゃんも年賀はがきを送ったが返事がないと心配していたのです。もしかしてという思いはありましたが、そのまさかだったのです。一番若い人だったから余計残念です。ご冥福をお祈りしています。しかし、もう誰が、何時こうなっても不思議はないのです。日本酒は美味しいけどパリでは高いからワインを飲んでいると言われていたので、あの世で会ったら日本酒で乾杯したいと思います。
 
 

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