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人生には絶対に越えられない壁がある

 今年の4月、彩乃さんの妊娠が発覚しました。今まで家族以外ほとんど誰にも言っておりませんでしたが、結果から言うと、流産でした。といっても、本当に初期の初期のこと。妊娠発覚後、数週間経っても胎嚢(赤ちゃんを包む袋)ばかりが大きくなり、赤ちゃんが成長しなかったのです。最終的にはエコーで赤ちゃんを見ることもなく、稽留流産(胎児が死亡して子宮内にとどまっている形式の流産)という診断になりました。

 それでも4月いっぱい妊娠初期ということもあって、彩乃さんはつわりも経験しました。ゴールデンウイークに総合病院へ行って診断をし、週明けに手術をしました。結果的に今年のゴールデンウイークは自宅でのんびり過ごすことになりました。

 手術当日、麻酔がかかった状態での手術だったにもかかわらず、彩乃さんは手術の痛みを鮮明に覚えているそうです。術後に戻ってきた彩乃さんに会うと、さすがにとてもつらかった。目の前で彩乃さんが頑張っているのに、僕には一生この痛みがわからないんだという無情さを感じました。手術当日は雨がシトシト降っていて、なんだか少し救われた気がしたのを覚えています。

 彩乃さんはその後1〜2週間出血が続き、痛み止めを飲んだりして過ごしました。彩乃さんの体調が落ち着いてきたこともあり、少し経った週末に2人が大好きな鎌倉のお寺で供養をしてもらいました。海を一望できる静かな場所です。この時本当は鎌倉のホテルに泊まる予定だったのですが、体調が良くならず、キャンセルしてしまいました。

 手術から2〜3カ月が経つと、彩乃さんの体調も回復しました。彩乃さんはその後派遣から正社員になり、僕はフリーランスになりました。結果としてこれまでにないくらい忙しい夏になりました。2人の時間なんだということを改めて意識したし、2人が仕事で大きな局面を迎えることになり、なんとなく全てがこうなる流れだったんだなあと思うのです。今の状況を作ってくれて、考える機会を与えてくれて、本当に感謝しているのです。

 そして、実は順調に進んでいれば、11月末に赤ちゃんが生まれる予定だったんです。もう10カ月が経ったんだと驚くばかり。そんなこともあって、僕らはこの週末、あの時泊まれなかったホテルを予約し、1泊2日で鎌倉に戻ってきたのでした。


 さて、ここからは妊娠・出産に関して、少し主観を述べます。嫌な思いをする方もいらっしゃるかもしれないので、続きを読むかどうか、ご判断はお任せします。

 この半年間、彩乃さんは近しい友人に流産のことを話していました。その話を聞いていて感じたのは、意外と流産の経験がある女性は多いということです。特に、妊娠初期がもっとも流産の可能性が高く、超初期に本人が気付かないうちに流産してしまうケースも含めれば3〜4人に1人が流産を経験するとも言われます。

 それなのになぜ、「流産」になるとこうも話しづらいのでしょうか。もちろん、軽々しくネタにすることではないし、気持ちの整理がつかないからと話したくない人もたくさんいます。もちろん、わかっています。でも、例えば、男性が多い会社で手術のために休暇をもらう際など、言いづらい雰囲気はやはりあって、言われた側が反応に困ってしまったり、必要以上に心配をさせてしまったり。流産というのはみんなが思っている以上の頻度であることで、もちろんかなりの痛みや悲しみを伴うのですが、そんな気持ちを抱えて生きている女性はきっとたくさんいるのだということに気付いた時、なんだか僕らは必要以上にこうした性(生?)の問題から距離を置いているという事実に改めて思い至りました。

 そしてもう一つ、この感覚は、流産を経験していない人には絶対にわからないことだということも痛感しました。幸い、われわれはそれほど思い悩むタイプではありませんでしたが、街中の幸せそうな親子、仲のいい友だちからの妊娠報告、マタニティマーク、こうしたなんの悪気もない(という言い方自体自分でもちょっと嫌になりますが)光景が誰かを無意識に傷つけていることがあるんだということを知り、恐ろしくなりました。

 彩乃さんは元助産師。僕だって医学部にいたわけだし、理論上はいろいろと知っているつもりでした。にもかかわらず、出産と流産という事実から生まれるこの溝、この歯がゆさは何なのか。正直まだわかりません。これが一般論だとは思わないし、「流産」に関する問題提起をして、もっとオープンに議論したい、ということでは決してありません。これ以上何かを言うつもりも、意見をもらうつもりもありません。

 ただ、人には経験に伴う絶対に越えられない壁がある。これだけはたしかなんだと強く感じたのです。そして、この文章は妻の流産を経て数カ月後の今の気持ちであって、再び妊娠をしたり、もしかすると妊娠できなかったり、そんな未来にはきっと全然違うことを思うはずなのです。僕と彩乃さんだって必ずしも同じことを思うわけではありません。だからこそ、今年感じたことを感じた時に書いておかなければいけないと思った次第です。


p.s.念のためですが、今子どもがいる方を僻んでいるとか、SNSに流れてくる家族団欒の写真を疎ましく感じているとか、そんなことは全くありません。むしろ二人の絆は深まったように感じるし、今まで以上に今を大切にしようと、穏やかに暮らせるようになりました。あと、もちろん公開前に妻にも確認をとってます。ですので、どうぞ、無用なお気遣いなく。

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