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「地方創生」という言葉の魔力

週末に仕事で尾道へ行ってまいりました。尾道といえば、最近おしゃれなカフェやお店が増えていて、若者が集まる街として一気に名を馳せました。

こうした街の雰囲気を作り出した背景には「ONOMICHI U2」というホテルの存在が少なからず関係しています。「ONOMICHI U2」は当時観光客もまばらだった街の滞在人口を増やすために市のプロポーザルを受けたTLBが作った複合施設で、5年を経て、街に馴染み、まさに街を変えたホテルと言っても過言ではないでしょう。

そんなTLBが今年同じく尾道にオープンした「LOG」というホテルがあって、たまたま尾道宿泊の夜に地元の人が集うバーイベントを開催するということでお邪魔しました。そこで、現地でお茶屋さんを営むとある茶師の方を紹介いただきました。

彼は「現代の情報社会では、発信の上手な人ばかりが取りざたされて、発信は下手でも本物を作れる人たちがどんどんと減っていく。地方は今そんなギリギリのところにいると思うんです」と言いました。

たしかに、その多くが東京に拠点を置くメディアにとって、取り上げたくなるのは「かっこいい」「発信の上手」な人たち。その方が見つけやすし、キャッチーだからです。そして、それを見た消費者もいろんなお店へ行きたくなるわけです。だけど、それじゃあいけない。

メディアに関わる人間として、もう少し話が聞きたいと思い、翌朝、彼のお茶屋さんにお邪魔をして、メディアのこと、地方と東京のこと、お茶のことなど、いろんなことを話しました。

そんな中でぼくが「北海道は食事が美味しくて、しかも、東京のように土地代がかからないぶん安いからいいですよね」という発言をしました。これを聞いて、彼はこう教えてくれました。

「地方は土地が安いから、モノの値段が安くて質もいい、という考え方では、いつまで経っても地方が成長しません。持続可能な街を作るためには、土地代ではない、地方ならではの、見えない何かに付加価値をつけることが必要だと思います」。

なるほど、これは盲点でした。ぼく自身、東京以外の街が大好きで、時間があればいろんなところへ行くのですが、「東京は高くて、地方は安い」ということを当たり前に受け入れてしまっていることに気がつきました。たしかに、東京にはない景色や空気、時間が地方にはあって、それが好きだからいつも地方へ行っているのに、なぜそこに対価を支払わなかったんだろうと。

近年、東京への一極集中を是正するように、あらゆる地域が「地方創生」という名の下で、いろんな施設を作ったり、観光客を増やす努力をしています。そして、実際に尾道や金沢、北海道なんかは若者に人気の街として、ある程度の知名度を集めています。だけど、東京と地方という関係性において、「地方創生」という言葉には、いくぶんかの上下関係が存在してしまっているのです。

もちろん、地方創生と言いながら、人気店を地方に誘致することで、一時的な人気を集めながらも、地方が消費されてしまうようなことはもってのほかです。そうでなくても、知らず知らずに地方を消費してしまう瞬間は実はたくさんあるのかもしれません。地方創生事業としてみれば、今が一番大事なのかもしれませんが、地域の方々からすれば、その土地は子の代孫の代へと引き継いでいくべき場所。そもそもの視点というかスパンが異なります。

だから、地方と東京という括りではなく、それぞれが独立した街として、地域として、その地域に古くからある生活を持続可能なものとしながらも、少しずつ盛り上げていけるような、そんな街づくりをしなければいけない。それは消費されるものであってはいけない。そして、それは、東京のためであってはいけない。

「地方創生」という言葉の裏にある「無意識の搾取」をすることだけは絶対にしてはいけない。これは、事業者側も、訪れる消費者側も、もっともメディアも同じです。でも、きっと、こんなことを気にかけている人々はそう多くないはず。日本の未来を考えた時に、ちょっとだけ恐ろしくなりました。

とはいえ、今回の尾道における「ONOMICHI U2」や「LOG」のような、新たな価値を問い入れることで、地元の持続可能性を伸長させている例もあるわけです。ここから学んだことを生かしながら、自分にできることはなんなのか、考えなければいけないなと痛感しています。

答えのない問いを掲げただけの、まとまりの悪い文章ですが、忘れないうちに、今の気持ちをちゃんと書き残しておこうと思いました。

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