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言葉の天才が生み出す「普通」|「天才による凡人のための短歌教室」を読んで

自らを「天才」と呼ぶ人には二つのパターンがあると思っていて、一つは「凡人としての天才」で、もう一つが「天才としての天才」なのだけれど、彼は前者なんだろうと思う。というか、ほとんどの「天才」はおそらく前者なのかもしれない。それはつまり「天才」とはほとんどが努力の先にあるということで、その努力の仕方というか思考の片鱗をありありと垣間見れてしまうのがこの本のいいところだ。

僕は基本的にハウツー系の本を読まないし、何かを具体的に教えられるのがあまり好きじゃなかったりする。でも、人の思考が見られるのは好きで、この本はどちらかというとそういう本だと思う。そうはいっても、この本からは、きちんと短歌を作る上での技術的なポイントを知ることができる。しかも、気負って学ぼうという姿勢ではなく、ふわふわとエッセイを読むような感覚で、言葉の本質に触れることができる気がする。

もともと短歌が好きで、気になる句集を買っては読んでいて、自分が好きな短歌の傾向もなんとなくわかっている気がするし(河野裕子さんや萩原慎一郎さん、笹井宏之さんなどの句集はほんとうに大好きだし、同年代でいえば伊藤紺ちゃんの短歌にいつもこっそりと心動かされている)、短歌が書きたいと思って、アプリを入れて、思いついた時に何百という短歌を実はこっそりと書いたりしていた(今もこっそり書いている)。だけど、思いついた瞬間の光景をどう言葉にすればいいのか、どうすれば自分が想像している景色をそのまま言葉で伝えられるのか、その方法がわからなくて逡巡していたことも事実である。そんなときに友人からオススメされて出会ったのがこの本だった。

その中で、もっとも自分の価値観を大きく揺さぶられたのは、「短歌の書き方」そのものだった。彼は本文でこのように述べている。

いまこの瞬間を書く必要はない。いまこの瞬間、あなたが見ている月について言葉はいらない。どんな言葉よりもその月のほうがうつくしいからだ。見とれていい。黙っていればいい。

そうなのか。ふと書きたいと思った瞬間を言葉にしようとばかり努力していたけれど、短歌はその瞬間を切り取るものでなくてもいいのか。彼は「できるだけ言葉で書き残すな」という。ほんとうに短歌にしたい光景は、言葉で書き残さなくても自然と思い出すというのだ。彼は断言する。「書くことは思い出すことだ」と。


もうひとつ、本書から学んだ大事な考え方は「普通であれ」ということだった。つまり、精神状態が良くないのなら、歌を詠む前に精神を安定させろというのである。アーティストが作品を作るというと「普通ではない」感性を生かすと思われがちだが、よくよく考えるとそんなことはない。

日常に潜みながらも、誰も表現していなかったとある瞬間をなんらかの形で表現する(短歌でいえば言葉にする)のだと考えれば、それは「普通」でなくてはできないことなのかもしれない。

そう言われると「普通」ってなんだろうと思う。「普通であること」に違和感を持ち、「普通でないこと」を求めがちな現代において、日々を穏やかに過ごせるよう「普通」であることはとても幸せなことなのかもしれない。そして、そんな状態でなければ、日常を言葉で表すことはできないのかもしれない。


本の最後には、木下さんがオンラインショップで続けている「購入者が決めたテーマに合わせてその人だけの短歌を作る」という作品があって、それを展示形式で実施した際の作品が26首掲載されている。本書を全て読んだあとに触れたそれらの短歌になぜか涙が溢れそうになった。二つほど紹介させてほしい。

(お題:十数年ぶりに会う恩師への恋にも似た感情について)
先生へ、あなたの胸でねむる夜以外はすべて手に入れました。

(お題:二十代会社員。西荻窪での新生活について。)
気を抜けば平凡となる人生へ西荻窪という劇薬を

なぜだろう。彼はやはり天才だと感じだからだろうか。また、言葉がこんなにも豊かで面白いと直感したからだろうか。「感覚的」だと思われがちな「短歌」という世界において、その方法論をわかりやすく具体例を踏まえつつ紹介する。その上で、その理論に則りつつ、最後には与えられたお題に対して心にざらざらと残るような短歌を数々出してくる。はっきりいって、やられた。心が打ちのめされた。言葉の楽しさに、豊かさを、あらためて痛感した。



そんなわけで、これまた自分勝手に感じたことをまとめてみたが、最後に、彼は短歌を長い時間をかけて推敲するということを紹介しておきたい。1時間かけて、何度も一首を推敲し、書き直し、いいものにする。それは作品を作るという過程である。言葉を愛する者として、言葉に対するそんな向き合い方はすぐにでも盗ませてもらうと思った次第である。



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