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予言としての日常・ことば|「予言」を読んで

短歌の常識を覆してくる作品に出会った。鈴木ちはねさんの「予言」である。

今年「第二回笹井宏之賞大賞」を受賞した同作だが、そんなことはつゆ知らず、ただ本屋さんの棚に並んだ「予言」の文字が気になって、手にとっただけのこと。まず装丁が好きで(これはいつも本を買う時の絶対条件であるが)、パラパラとめくって読んだ短歌があまりにシンプルなことに驚き、ここには何か秘密があるんじゃないかという謎の直感で買ったのがこの本だった。あれはたしか京都駅前のイオンにある大垣書店だ。

東京に戻ってこの歌集を読み始めたが、最初はまったくリズムがつかめず、というよりシンプルすぎる歌の内容に戸惑っていた。しかし、そのままサラサラと読み進め、三割くらいが過ぎた頃から、どうにも引っかかることが出てきた。彼の短歌には、一首の中で同じ単語が何度も出てくる。三十一字という限られた字数の中である情景を表現するのが短歌だとすれば、あまりにも字数の無駄遣いをしているという感じがする。

折れた傘が捨てられているごみ箱に僕も捨てたいな折れた傘を
交番に誰もいないのをいいことに交番の前を通りすぎた
海のたび海だと叫ぶ少年の目前にまた海があらわる

しかし、同じ単語を何度も使いながら書いているからこそ、表現できる情景というか心情があるのも事実なんだなということに気がつく。下の歌なんかまさにそうで、なんとも言えないわだかまりみたいな感情がちゃんと歌から伝わってくる気がする。そのためには、この反復は必要だろう。

抜けた歯をもうちょっとよく見たかった もうちょっとだけよく見たかった

そんなことを考えながら、そのまま読み進め、気がつくと彼の言葉の癖にはまってしまい、まんまと最後まで読み終えてしまった。癖という点でいうと、反復だけじゃなくて、その言い方するか普通、みたいな絶妙な違和感がいろんなところに散らばっていて、それもまた面白い。

全体重でドアを押しあけ物心ついたばかりの人が出てくる
甲子園のダイジェスト版番組を見ているんだな隣の部屋が

人って、多分子供だよな。そこをあえて具象化せずに「物心ついたばかりの人」って書くのはなんだか面白い。ふたつ目にしても、番組を見ているのは人なんだから「隣の部屋で」って書いてしまいそうなところを「隣の部屋が」って書いているのがどうしても気になる。しかも最後の一文字の「が」だからこそ、やけに記憶に残ってしまう。僕はまんまとやられたみたいだ。


というわけで、全部を読み終えて印象に残っていることを忘れないようにいくつか書いてみる。まず、全体的にほんとうになんでもない日常のシーンを脚色することなくそのまま書いているという点。短歌ってこれまで誰も気にしたことがないシーンをうまく言葉で書き残すことに意味があるものだとばかり思っていたからこそ、これは新鮮だった。そんな、そのまま、書き残していいんだ、みたいな。これは大げさに言えば、僕の常識が覆されたことになる。

いい路地と思って写真撮ったあとで人ん家だよなと思って消した
地下鉄の駅を上がってすぐにあるマクドナルドの日の当たる席
コインランドリーの洗濯物が乾くまで眠れないので短歌をつくる

だけど、そんな歌に挟まれるように、自分の知らない感覚が時々出てくる。それがスパイスとなって、読むことをやめさせてくれないわけである。

パトカーの後部座席の質感をときどき思いだしたりしている
近景にあなたがいても遠景にあなたはいない 夏がはじまる

また、(最初にちょっと抽象化のことにも触れたがここでは反対に)あまりに具体的な表現をあえて残していて、それがなんとも素敵な場面がいくつもあった。たとえば、このあたり。とくにふたつ目は面白い。どうでもいい話をあえてちゃんと具体的な内容まで書いた上で、気がついたら「あ、海だ」ってなるシーンがめちゃくちゃ鮮明に見えてくる。空白の位置も完璧。すごい。

総工費六億円の橋がありそれをふたりは並んで渡る
マンホールの模様に地域性が出るみたいな話をしていたら 海


そんなわけで、全体的に馴染みある日常と知らない日常がちりばめられた歌集だなと思ったわけだけれど、総じてそれらは必ずしも何かを言おうとしている感じが一切しなくて、日常を切り取って、勝手に置いておいたよ、という印象を受ける。

社会に対しての違和感とか抵抗みたいな意思の強い作品もたくさんあるのだけれど(それについては以下のnoteで詳しく解説されていた)、それでもあくまで「どうぞご自由に」と言わんばかりに言葉だけをおいていかれているような気がした。そうか、だから「予言」なのか。ここに描かれた日常も主張もすべて「予言」なのだな。

最後の最後に、とくにクライマックスの方で、自然観にも近いような、人生と自然がテーマの歌がたくさん出てくる。それらをいくつか紹介して終わりにしよう。

人生は勝ち負けじゃないと思うけど 水上バスは気持ちがいいな
のり弁で満足できるこの身体に負荷を与えてくれる春の風
冬の川まぶしくて生きていくことがこんなんでいいのかと思った

うん、きっとこれらの感覚も、何かの「予言」になっているに違いない。



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