クォン・ヨソン『稀薄な心』読書メモ

クォン・ヨソン著 斎藤真理子訳「まだまだという言葉」収録の短編『稀薄な心』の構造が複雑に思えたので個人的な整理メモをここに書いておく。ネタバレなので小説読んでない人は読まないほうがよいかもしれない。

登場人物について

デロン 

後半記述で騒音の苦情に怒鳴り込んでくる男におばあさんと呼ばれていること、また同年輩の恋人が退職後も同居していたということから恐らく60代くらいの女性。一人暮らし。前半の記述では語調も含め性別不明、不眠症、ディエンの夢の中で死んだと言われたことの思い出にとらわれて考え続けている。時々スイッチが入って記憶がなくなるブチ切れ方をする。旧来的な表現だと男性的にディエンを力によりまもろうとする役割を果たそうという傾向が大きい。ディエンの夢の中で自分が死んだのは20代の頃ディエンが男子学生に殴られた際に自分が守ることができなかったからだと気づく。

ディエン

前半記述だと性別不明だが語調が女性口調。デロンと同年輩の恋人。ディエンと同居していた。デロンをサポートするような旧来的な表現だと女性的な役割を果たそうとする。ブチ切れるときのデロンをなだめようとするがその時には役割を果たせない。

デロンとディエンの真の関係性

騒音の苦情に怒鳴り込んでくる男が来た際にディエンは奥にいてデロンが対応したが、デロンが女性の一人暮らしということを相手に明かさなかったことに安堵していることからディエンとデロンは同一人物であろうと読んだ。デロンがフリーランス系の仕事をしてきたことと、ディエンが30年以上同じ職場で勤めて退職したことが書かれているのが恐らく同一人物と読ませない一番大きなミスリードぽい仕掛けではなかろうか。

上記をふまえたメモ

面白いのがこの小説で現在思考し悩むのがあの時の暴力によりディエンの夢の中で亡くなったと告げられたであろうと考えるデロンの側であること。夢と現実はどちらが正の空間かわからず、夢のなかでは死んだのはデロンであるのに、現実では生きているディエンがいなくなっている。この夢はあくまでディエンの見ている夢であり、現実はデロンの見ている現実ですべてはデロンの脳内のレイヤの重なりで生じてくる関係性なのだろう。ラストではデロンの夢の中とディエンから聞いた夢の中が同一になってどちらが正の空間かデロンの認識もあいまいになってくる。
『稀薄な心』というタイトルの稀薄が表すところは過去の暴力のトラウマにより自己の中の人格の確立された部分の存在が薄く不安定になっている状態のことかしら。

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