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#195 真冬の旅路

原田マハの作品に関して、少し続きを。以前、原稿にしたものですが、お時間のある時にでもどうぞ。
(初出:『ahead』2020年2月号)

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2014年12月25日、ノートパソコンの画面の片隅に、メールの受信を示す小さなアイコンが灯った。件名は「カンパーニャより」。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの北西にある街からそれは届いた。

差出人は当時のahead副編集長であり、日野チームスガワラ1号車のナビゲーターとしてその地に渡っていた若林葉子だ。内容は数行の近況報告だったが、ダカールラリーのスタートを目前に控えた慌ただしさと静けさが感じられた。

カンパーニャという語感がなんとなく好ましく、以来そこは見てみたい場所のひとつになった。街は大きいのか小さいのか、新しいのか古いのかも知らない。そこに泊まることに大した意味はなかったのかもしれないし、取り立てて見るべきものがないところだとしてもそれはそれ。いつかその地で、「ここがあの時の場所かぁ」という体験ができれば、旅の句読点にちょうどいい。

アイスランドのシンクヴェトリル国立公園、モンテネグロのコトル、フランス領レユニオン島のシラオス圏谷も見てみたいリストの上位にある。いずれも友人とゆかりがあったり、たまたま見ていたテレビの中の景色だったりときっかけはささやかだ。それでも心のどこかに留めていれば、そこに立つ必然性のようなものが生まれると思う。

もちろん、リストの中には国内もたくさん含まれている。ただし、これに関しては半分くらいが原田マハの小説にまつわる場所だ。愛媛の内子町、北海道の鶴居村、沖縄の美術村跡……と数え上げればいくつもあり、中でも奥蓼科にある冬の御射鹿池は強い印象を残している。それが登場する作品の読後、どうしても自分の目で見てみたくなり、木々の緑が濃くなる頃に一度、紅葉で橙一色に染まる薄暮の頃に一度訪れた。やり残したことがあるとすれば、作品の中の時節と一致する、冬空の下でまだ見ていないことだ。

一月から二月はそれ以外の季節よりも試乗や撮影の機会がずっと少なく(特に2輪関係はそうだ)、その代わりに平日も休日も昼も夜もなく、ひたすらPCに向かう時間が増える。それこそ句読点のない文章のように間延びした日常が続くため、気分転換を兼ねて、三度目の御射鹿池へ向かうことにした。

こういう時、日本の広さは手頃でいい。漠然と「いつか」を待ちわびたり、念入りに準備を整える必要はなく、クルマかバイクのキーさえあれば、すぐにでも望む場所へ向かうことができる。

御射鹿池は長野県茅野市の山間、横谷渓谷にある。風情もなにもない言い方をすれば農業用のため池であり、外周は400m足らずの小さな水瓶だ。八ヶ岳山麓の水はあまりにも冷たく、そのまま田畑に導くには不向きなため、一度太陽にさらして温める目的で造成された。鉱泉の影響で酸性が強く、魚は棲めないものの、茅野の稲作を支えてきたのである。     

池へのアクセスは容易だ。都内からなら中央自動車道を経由すれば3時間もかからない。諏訪ICまで行くよりも、ひとつ手前の諏訪南ICで降りるといいだろう。八ヶ岳ズームラインから八ヶ岳エコーラインへ進むと、その名の通りクルマのウインドウには終始八ヶ岳の稜線が映り、かといって近づいてくる風でもなく、その麓を淡々と北上していくことになる。

途中、左右には緩やかな棚田が広がり、稲作が盛んなことが分かる。茅野の標高は町の中心部でも800mを超え、一般的には米作りに向いていない高地に属するのだが、昼夜の寒暖差が米の甘味を促進。日照量が長いことも手伝って品質は高く、茅野の農作物収穫の1/3を担っているそうだ。

八ヶ岳エコーラインを道なりに走っていくと、湯のみち街道(県道191号)にぶつかる。その交差点を右に折れ、針葉樹に囲まれた峠道を進むこと、およそ10分。道路が突然拓けて目の前に……というよりは、もしかしたら通り過ぎてしまいかねないほど、御射鹿池はただひっそりと佇んでいる。

2012年に発表され、その後文庫化された小説『生きるぼくら』(原田マハ著/徳間文庫)には、こう描写されている。

「冬の日差しを照り返し、近くの小高い山の姿を逆さまに映して、静かに広がる湖面。清潔な青空がそのまま大地に下りてきたかのようだ ~中略~ それはなんでもない、けれど特別な風景。不思議なほど豊かで、森の中のすべての生き物が、やがてくる春に向かって生きる力を蓄えて、息を潜めているのがわかる」

絵にしても、写真にしても、御射鹿池の姿は初夏から秋を切り取ったものが多い。過去に自分で訪れた時もまさにそういう季節だったが(タイトル写真は10月末)、今回見たかったのはこの一節を再現しているような風景だった。そして、それは叶えられた。

池の正面には数十台分の駐車スペースが設けられ、紅葉の頃は観光客やハイカー、アマチュアカメラマンでにぎわう。日本の風景画家、東山魁夷の作品『緑響く』(オリジナルは1972年だが、 現存しているものは1982年に再制作された)の題材になったことで知られるようになり、2000年代に入るとCMに起用されて人出は一気に加速した。ただし、幸いにも極端な観光地化が進むことなく、現在に至っている。

近年、草花や苔の保護を目的にした柵が設置されたとはいえ、それも最小限に留められ、ほとりには池の成り立ちを記した小さな看板がある程度だ。景観の保全は基本的に人々の良心にゆだねられているところがいい。それゆえ、東山魁夷が見たであろう木々や水面が、おそらくほとんどそのまま残されている。

一月の平日ともなれば池を訪れる人は皆無に近い。代わりにウサギやカモといった小動物がそのほとりで小さな身体を休めている。時折吹き抜ける風が木立を揺らし、水面にさざ波を立たせ、鳥がさえずる。そうしたゆらぎの中で時間が静かに流れていくのである。

1/fゆらぎという言葉を聞いたことがあるだろうか。心身がリラクゼーションを感じる周波数や動きのことを言い、せせらぎの音やロウソクの炎がよく知られている。御射鹿池を構成する風の音、木々や水の動き、動物の声もそれに当てはまり、それらが一体となって巨大な癒しの空間として機能。そこに人々は魅了される。

東山が『緑響く』のインスピレーションを得た時、「モーツァルトのピアノ協奏曲第二楽章の旋律が聞こえてきた」と語っている。実は、モーツァルトの楽曲の多くは規則性と不規則性がないまぜに組み合わさり、それこそが1/fゆらぎの源なのだが、東山はそんな概念がなかった時代に、感覚的にそれを感じていたことになる。芸術家と呼ばれる人間同士が響きあう世界。このエピソードはその一端を垣間見せてくれるようで、ゾクリとする。

一方、『生きるぼくら』は、その高みを市井の世界へグッと落とし込んでくれる小説だ。いじめが原因で引きこもりになった24歳の主人公が、自分を置いて失踪した母と、繋がりが途絶えたまま所在も生き死にも知らない父に導かれるようにして東京から茅野へ移住。そこで暮らす祖母と血のつながらない妹との米作りを通して、暗闇だった人生に光を当てていく。そうやって心の傷を再生していく物語だ。

いじめや引きこもりだけに留まらず、離婚、認知症、介護、終末医療、就職難……と現代社会のあらゆる問題が散りばめられ、そんな中でも人には誰しも生きる力が備わっていること。必ず進むべき方向があること。助けてくれる人がどこかにいること。それらを伝える希望の物語でもある。御射鹿池の様を記した、既述の「やがてくる春に向かって生きる力を蓄えて、息を潜めているのがわかる」という一文はその象徴と言っていい。

また、そこには救いがある。それが絵空事ではない実在の場所や人物、作品によって補強されているおかげで、よりリアルな、より強固なものに感じられる。もっとも、そんな大げさなものでなくても、「どこかに行ってみたい」、「なにかを見てみたい」という想いが高まった時、原田マハの小説を開けば後を押してくれるはずだ。

御射鹿池にまつわることで、やり残したことがもうひとつあった。それは、長野県信濃美術館で展示されている『緑響く』を観に行くことだ。句点をつけるとしたら、それが一番ふさわしい。


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