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#326 Renault TWINGO GORDINI R.S.

昨日、少し取り上げたルノーのトゥインゴ ゴルディーニ R.S.。10年前に書いた、その原稿です。なんの苦労もなく、サラサラサラッと書き上げてる感があり、だいぶ楽しかったのだと思う。

「ルノーはなぜバイク乗りに受けるのか」

このところ、とても気分がいい。と、同時に困ってもいる。なぜなら、しばらく体の奥底に仕舞い込んでいた〝元クルマ好き〟の血が、ざわざわし始めたからだ。

切っ掛けは他でもない。ルノーのトゥインゴ ゴルディーニ R.S.(以下、トゥインゴR.S.)とメガーヌR.S.に乗ったことだ。そのおかげと言うべきか、そのせいと言うべきか、試乗してしばらく経った今も、時々あの「コクコクッ」というシフトチェンジのフィーリングや、その時にせわしなく上下するタコメーターの動きを思い出し、ニヤッとしていたりする。

また乗りたい。というか、毎日でもいいかもしれない。要するに、欲しいのだ。それで困っている。これほどクルマを欲しいと思ったのは、一体どれくらいぶりだろう。
 
それこそ、20代の頃はクルマとクルマ雑誌が大好きで、物欲にはキリがなかった。とりわけ、雑誌『Tipo』の熱心な読者だったから、誌面の中を縦横無尽に駆け回り、そこから飛び出してきそうなほど元気なホットハッチ(と、まだヒラ編集部員だった嶋田智之さん)にすっかり影響されて、ジャンクヤードから拾ってきたようなプジョー205やシトロエンAXを壊しながら乗り継いでいた。

それが高じて、ひょんなことから『Tipo』の版元である出版社に入社したものの、そこから先は進路を急変更。クルマ趣味よりも先にかじっていたバイクが縁で、二輪専門誌へ移動することになり、以来、徐々にクルマのことは忘れていった。そんな風に、ここ10年ほどは、くすぶりもしていなかったクルマ熱に、ルノーがいとも簡単に火をつけてしまったのだ。

思えば、いくつかの伏線はあった。

以前、仕事でご一緒させて頂いたルノー・ジャポンの大極社長は、10代の頃かなりのバイク好きだったと聞いていたし、商品企画を担当するブレンさんは、どこへでも、例えそれが会社の仕事でも、愛車であるリッターバイクで出かける生粋のバイカーだ。

そんな風に、ルノー・ジャポンにはバイクフリークが少なくない。バイク業界で働く身としては、なんとなく親しみは感じていたのだ。ただし、それは思い出や趣味の範疇であり、仕事とは切り分けられたものだとも思っていた。

ところが、自分でルノーのステアリングを握ってみて、「あぁ、これか!」とすぐに分かった。なんというか、この2台のルノーのフィーリングはバイクにとても似ていて、「16歳でバイク好き、18歳でクルマ好き。そこから抜け出せなくなって、だからこの仕事に就きました」みたいにド直球な人たちが造り上げている感覚がたっぷりなのだ。

乗っていて、それが伝わるから嬉しくなる。その理由は、この2台がただのルノーじゃないことも関係している。車名に付いている〝R.S.〟は、〝ルノー・スポール〟の略で、その名の通り、ドライビング=スポーツという主張が明確なのだ。

ちなみに、ルノー・スポールはF1を筆頭に、モータースポーツに関することなら車両開発からイベント支援まであらゆることを手掛けている独立したビジネスユニットだ。世界で一番、フォーミュラカーを生産しているといえば、その濃さや熱さがイメージできるだろうか。

市販モデルにもそのノウハウが活かされており、トゥインゴR.S.やメガーヌR.S.がまさにそれ。跨ること自体がスポーツになるバイクと通じるところが多いのは、きっと生まれながらの血のようなものに違いない。

先のブレンさん曰く、本国のルノー・スポールの駐車スペースには、そこで働くメカニックやエンジニアたちが乗っているスポーツバイクがあふれかえっているとのこと。つまり、そういうマインドの集団なのだ。

もうひとつブレンさんの言葉を借りると、フランスの人達はそこにある設備を、事務所や工場のことを「アトリエ」と表現するらしい。「アトリエ」。もうそれを聞いただけで、グッときてしまう。R.S.の名を冠したトゥインゴやメガーヌは、さしずめ作品というわけだ。

今回、最初に乗ったのはトゥインゴR.S.だ。シートに座った瞬間から体に馴染み、変な緊張感はまったくない。サイズ的にも、視覚的にも、手や足が触れるパーツの感触的にも、そのどれもが自分のコントロール下にあるようで、抜群の居心地を提供してくれる。

走り出しても印象は変わらず。シフトチェンジのストローク、ステアリングを切った時の旋回性、その時の車体の傾き加減……。そうした諸々が、すべて予想の範疇でまったく裏切らない。決してシャープではないけれど、ダイレクト。踏んだら踏んだだけ、回したら回しただけ反応し、その行き届いた躾が、気持ち良さを満たしていく。

パワーにもトルクにも余裕があり過ぎないのもいい。特に低回転域からの加速は、アクセルをガバッと操作するよりも、ジワッと踏むときれいにトルクがついてくる。このあたり、ちょっとキャブレターのバイクっぽくて、妙に懐かしい気分になれるのだ。

乗り手をサポートし過ぎず、サボらせ過ぎず、素直。「ワタシの能力はこれくらいですから、後はアナタ側でどうぞ」。そんな控え目なキャラクターが、「ホッ」とさせてくれる。ならば、メガーヌR.S.は、その拡大版かと思いきや、それは大きな勘違い。

ある意味、素直と言えば素直。ただし、そのレスポンスが極限まで切り詰められた印象で、他の言葉に置き換えるなら、シャープ、ソリッド、スパルタン。そんな超体育会系の鍛えられ方だ。バイクに例えるなら、ドゥカティのスーパーバイク系に一番近く、体脂肪率は極めて低い。

ルノー・スポールに携わる人たちの心には、おそらくバイクやクルマにときめいていた〝あの頃の自分〟が常にあり、純粋にアクセルを開けて(あるいは踏んで)いた頃の感性をいつでも引き出せるのだと思う。自信満々に「これでどうだ!」と作り上げられた若々しさに溢れている。

ところで、バイク乗りが好きそうなクルマと言えば、マツダ・ロードスターのようなオープン2シーターやケーターハム・スーパーセブンのような、プリミティブなライトウェイトスポーツをイメージしがちだ。

それは確かにそうなのだが、現実問題としてバイクでもクルマでも、一人だけのストイックな世界に入り込むのは難しい。家庭があり、奥さんや子供があればなおさらだ。

ルノー・スポールが何事もままならない、そんなニッポンのお父さん事情を考慮してくれたわけではないだろうが、フランス人らしい合理主義がトゥインゴR.S.にもメガーヌR.S.にも発揮されていて、スポーティでありながら、決して実用性を失っていないところにも注目したい。

例えばそれは、大人が快適に過ごせる空間が確保されたリアシートや十分な容量を持つトランクスペースだ。また、シャープさの対価として決して失っていない、しなやかな足回りもそれに当たる。

家族にとっては快適なハッチバック。しかし、それを操るお父さんの目に飛び込んでくるのは、バイクそのものの造形を持つタコメーター(トゥインゴR.S.)であり、心を高揚させるのは、自在にパワーやエンジンレスポンスが変えられるESPモードとR.S.モニター(メガーヌR.S.)だ。こういうデバイスもまた、バイク好きの心を刺激する演出として、たまらないものがある。

バイクを趣味にしているからと言って、スポーツマインドを忘れずに済むクルマ。かつてバイクに乗っていた人が、若かりし頃を取り戻せるクルマ。それを教えてくれるのが、この2台のルノー・スポールなのだと思う。まだまだあきらめる必要はない。

問題は、それぞれが違うスピード域、違うステージで魅力的なことだ。かと言って、お父さんは、2台持つことはできない。だから、僕はやっぱり困っている。

『ahead』2012年10月号より

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