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#373 ロンドン~ディス~リヴァプール、それから

ヒースロー空港からロンドン市内へ移動し、ビクトリア駅に向かった。そこからオックスフォード・サーカス駅、ニューバリー・パーク駅、インゲート・ストーン駅を経て、ディス駅へ。掛かった時間は、4時間ほどだったろうか。ディスは、サウス・ノーフォークにある小さな町だ。
 
高架を通って反対側のホームへ渡り、改札を出る。三菱パジェロから降りてきた大柄の男性が、「イタミ、サーン」と呼ぶ。トーマスさんだ。パジェロの助手席で揺られて15分か、20分ほど。トーマスさんの家へと案内してもらった。
 

トーマスさんの家へ来た理由は、ひとつ。日本から送ったハイエースを引き取るためだ。横浜の港から送り出したハイエースは、2ヶ月ほどの時間を費やしてイギリスの港町フェリクストウに着いた。その受け取りと保管をトーマスさんにお願いしていたのだ。ハイエースの荷室には、2台のバイクの他に工具やパーツ、テント、発電機、レーシングスーツ、ヘルメット……といったレースに出るための一切合切が詰め込んである。現地でトランスポーターをレンタルするよりも、日本で使っていたハイエースをそっくりそのまま輸送した方が、なにかと使い勝手がよく、手間も掛からない。それが最も合理的だと判断した。

  

その日はトーマスさんの家に泊めてもらい、翌朝出発。A14とM6を使いながらケンブリッジ、バッキンガム、スタッフォードを通過し、西へ400km足らず。リヴァプールへ向かった。リヴァプールだからといって、別にビートルズで盛り上がったりはしない。ハイエースの中にはCDを何枚か入れておき、その道中は確かブラック・クロウズの一択だった。 

途中、コヴェントリーで給油と簡単な食事を済ませた。その時、このまま着かなければいいのにな、と思っていた。いつもそうなのだ。どこかに向かって、なにかをしている時はとても楽しいのに、どこかがだんだん近づいてきたり、なにかが果たされつつあるとたまらなく憂鬱になり、引き返したくなる。この時のそれは、人生でも指折りの憂鬱さだった。

リヴァプールでフェリーのチケットを買い、ハイエースで船倉に乗り入れた。天気はよく、凪いだ海の向こうには、もう島が見えている。ダグラスで下船し、そのままパドックへ。まだ5月に入ったばかりだったためか、レースの雰囲気も、そのための装飾も、ひとけもほとんどない。ハイエースを停めた後、道を横断して墓地へ踏み入れた。グランドスタンドの向かい側、スコアボードの裏手にあるそこには、“JUN MAEDA”と刻まれたプレートが飾られている。「来ました」だったか、「来れました」だったかは忘れた。どこにでもいる、口だけの奴だと思ってたでしょう? どんな形であれ、ともかく約束を果たせたことを報告した時、僕のレースはほとんど終わっていた。

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