見出し画像

#213 責任をひとつ果たせそう

夏がくると、たびたび水難事故の報道を目にする。海や川で残念ながら幾人かが命を落とす。

ほとんどの場合は、なまじ水に入れるからそれが起こる。水が怖いひと、まったく泳げないひとは最初から水辺へ近づくことがなく、溺れることもない。学校で泳ぎを覚えてしまったばっかりに、水泳教室へ通わせてしまったばっかりに、結果的に不幸を招いてしまうことがある。酷ではあるけれど。僕は同い歳の従兄弟を失くしている。

その意味で、かつての3ない運動には一定の効能があった。それはおそらく今も。バイクに乗らなきゃバイクでは死なない。それを事なかれ主義だとか、高校を出ればあとはどうなってもいいのか、と非難するのはお門違いだ。日々授業があり、部活があり、季節ごとの催しがあり、進路指導があり、そんな風にありとあらゆる事象が同時進行している中、バイクに乗らせるかどうか、乗った時に安全をどう確保するかなんてことまで、学校がフォローできるわけもない。それをしたがためになにかが起こり、責任を追及されたらたまったものではない。

「とにかくダメ」とひと括りにストップをかけておくのは、消極的に見えて有効な選択肢のひとつだと思う。なにせ、16歳や17歳である。成熟にはほど遠く、なにより自制が効かない。エンジンが与えられたなら、なにかを試したくなるのは当然で、ひとりひとりの適性を精確に測った上での指導なんてとてもできない。

長きに渡る3ない運動のおかげで救われた命が、きっと数万人分はある。その命がやがてなにかを成し、誰かに影響を与え、家族を作り、新しい命を紡いでいる。このことの意味はとても大きい。

確率の問題ではあるけれど、命にはいつでもどこでも負の力がふりかかる。そのタイミングを推し量ることは難しく、たまたまそれに抗えなかったからといって、やり直すことはできない。したがって、失敗の可能性を最初から遠ざけておこうとするのは、手段として間違っていない。

それでもなお、というのなら、すべての責任は親にある。子が成人するまでの間に、親がすべきことはたったひとつ。その命を守ることに尽きる。

16歳でバイクに乗り始めた娘は、明日18歳を迎える。よかった。ふぅと安堵のため息ひとつ。残りの大部分の人生は、自身の判断と行動で進んでくれればいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?